宝石の世界
・カットが正確で輝きが強いダイヤモンドの世界
・極稀なファンシーカラーダイヤモンドの世界
・これこそナチュラル色石の世界 
雑記帳
・日本の国内外に存在する嘘
・嘘を暴き事実を探る
・嘘の無い日本を子や孫へ
雑記帳 コンタクト
雑記帳トップ 始めに   日本 米国 台湾 支那 韓国 北朝 露国 印国 豪州 アセアン諸国
日本トップ 皇室 憲法 歴史 国政選挙 政治 社会 対外 日本近現代史
歴史トップ 靖国神社 日本の戦争 東京国際軍事裁判 米国の戦争犯罪 GHQ占領政策・卑劣な洗脳
歴史トップ 日韓併合 韓国の嘘・従軍慰安婦 シナの嘘・南京大虐殺 731部隊 沖縄の嘘 歴史戦
歴史トップ 強制労働・強制徴用・捕虜強制労働の嘘
日本の戦争トップ 大東亜戦争 支那事変 日露戦争 日清戦争 第一次世界大戦(日独戦争)
大東亜戦争トップ 大東亜戦争・戦線時系列 大東亜戦争 称賛される大日本帝国 戦後・日本人の行動
大東亜戦争ニュース/ 2020 2019 2018 2017 2016 2015 2014 2013
大東亜戦争ニュース・2016/ 12~7 6~1
色違いの行の太文字がニュース&情報の「見出し」、スクロールし検索すると、記事、動画元にヒットする
大東亜戦争ニュース・2016/12~7
台湾系日本人の大東亜戦争
2016・9・5 ユーチューブ 重要動画 日本人、必見
2016.09.04【台灣演義】籍日本兵 | Taiwan History

「コメント」
九三軍人節 是紀念中日戰爭
台籍日本兵 卻被歷史遺忘!
20多萬台灣兵
數萬人戰死 多少人生死不明?
打過美軍 打過共匪 打過朝鮮
看台籍日本兵的戰爭血淚
 
※祖国日本の為に一命を捧げた台湾系日本人、日本人が台湾人と共有すべき歴史である。
台湾人に感謝!
積誰か日本語字幕を付けてくれませんか? ナレーションは全く理解出来ないが、動画を観ているだけで涙が・・・
2008・3・24 ユーチューブ 最重要動画 
今もインドで歌われる日本兵を讃える歌
「コメント」
戦後60年以上たっても、インドで歌われ続ける日本兵を讃える歌
 
※流石、大日本帝国皇軍兵。
世界広しと言えども、外国の国民から称えられる国の兵士がいるだろうか。
インドの国民の皆さん、ありがとう。
2014・9・29 ユーチューブ 必見 
ポツダム宣言を現代語訳してみた
「コメント」
ナシ
2014・7・2 ユーチューブ 
【KSM】誇りある「大和魂」を目覚めさせる言葉集。こんなにも日本は愛されている
大東亜戦争を知る前に上の動画を確認頂きたい。
大日本帝国が大東亜戦争を戦った理由が明確になっている。
太平洋戦争はしていない
2014・11・21 ユーチューブ 
『実は日本が勝利した』 韓国にも中国にもない日本だけの悲劇 : 大東亜戦争を禁じた戦後GHQの思惑と理由 MAXSCOPE 皇国 JOURNAL
「コメント」
韓国にも中国にもない日本だからこその悲劇 大東亜戦争という呼称が禁じられ、日本が勝ったという意味とは ケントギルバートの連載記事から、太平洋戦争が大東亜戦争と呼ばれなくなった経緯、日本人であるのに知らされない、知ることができないという驚きと不幸。
『勝てば官軍』という言葉に凝縮された裏話
 ※日本人よ、いい加減に目覚ろ! 太平洋戦争はアメリカが放ったプロパガンダであり、嘘である。
大日本帝国はアジア解放を求めて戦い、アメリカだけに負けたが、アジア解放の目的だけは達成したのである。
日本の事でアメリカ人世界に嘘を吐き始めた事件
2015・9・2 ユーチューブ 重要 
【KSM】ベルギーは超親日国である。ベルギーは関東大震災時の台湾だったのである。
「コメント」
日本がベルギーと国交を持ったのは、慶応2(1866)年の日本国白耳義(ベルギー)­国修好通商及び航海条約の調印が始まりです。
明治26(1893)年、アルベール・ダネタン男爵が特命全権公使として来日しました。
氏はその後16年間にわたって日本に駐在し、世界における日本の地位向上のために努めてくださいました。
 
アメリカは大日本帝国と大東亜戦争を戦い勝利したが、東京国際軍事裁判に於いて嘘を用い裁き、日本人を処刑した。
アメリカ人は嘘を吐きである事を証明したこの動画だが、この嘘が大日本帝国を貶めた最初のエピソードである。
この嘘を暴き大日本帝国を救ったのが、16年間日本に滞在し駐日ベリギー公使を務めたアルベール・ダネタン男爵である。
アメリカがシナ大陸進出を目論み画策した証であろう。
ベルギー王国とアルベール・ダネタン男爵に感謝!
2015・2・6 ユーチューブ 必見動画
マッカーサーの告白 『大東亜戦争は日本の自衛戦争だった』 MAXSCOPE JOURNAL
「コメント」
戦後70年、大東亜戦争(太平洋戦争)はハルノートを突きつけられた日本が自衛のために立ち上がった戦争であり、自虐史観を持たなければならないのは米国である。
マッカー­サーは東京裁判を悔やみ、日本国憲法で日本を骨抜きにし、左翼分子を日本に植え付け、自虐史観を持つように仕向けた米国の罪を告白した。
生々しい彼自身の証言を朗読。
かつては日本を恨んでいたダクラス・マッカーサーが天皇制と天皇の生命を守ろうとした背景。
マッカーサー以上に日本を評価する立場として説得力がある人物はなかなか存在しない中、彼の貴重な演説を再現する。
 
マッカーサー語録を確認する必要があるが、多分事実だろう。
大東亜戦争は侵略戦争では無い
2015・8・25 ユーチューブ 重要・必見
【2015年8月25日生放送ノーカット版】馬渕睦夫『外交虎の穴 日本をどう活かすか?~国家戦略としての外交~』

「コメント」
2015年8月25日に収録・ニコニコ動画で生放送配信をした、
馬渕睦夫『外交虎の穴 日本をどう活かすか?~国家戦略としての外交~』
ノーカット版を公開致します。
テーマは「安倍総理の七十年談話に思う」
 
大日本帝国がアメリカ戦に突き進んだ理由が22分30秒過ぎに語られている。(大日本帝国は蒋介石との講和を望んでいたが、断念した理由が語られている) 
2014・9・24 ユーチューブ 重要
なぜ、中国だけが白人側についたのか ? / 武田邦彦ブログ音声 #武田邦彦 #武田教授
「コメント」
ナシ
 
※大東亜戦争の原因シナと戦争になった原因シナの正体が語られている。
弱いシナは
アジア地域の盟主であり続けたい一心から、白人側に付き大日本帝国と戦ったのか? (中華思想) 
2015・5・6 ユーチューブ 注目動画 
平成25年08月04日「ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任」講師:江崎道朗先生
「コメント」
スタジオ日本・特別報道番組 第8弾  日本会議福岡 第9回 追悼・感謝 英霊顕彰・県民の集い(平成25年8月4日開催)
[趣旨]
「ヴェノナ文書」が暴いたコミンテルンの戦争責任
  ■コミンテルンのスパイを暴いた「ヴェノナ文書」の衝撃
第二次世界大戦前後の時期に、アメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入していることを暴いた「ヴェノナ文書」の公開以降、同国内では、「ルーズヴェルト政権はソ連や中国共産党と通じていたのではないか」という古くからの疑念が、確信へと変わりつつある。
当然、当時をめぐる歴史観の見直しも進んでいる。
しかも、そのピッチは近年、急加速していると言ってよい。
ヴェノナ文書とは、第二次世界大戦前後の時期にアメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、アメリカ陸軍情報部が秘密裡に傍受し解読した記録である。
1995年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が公開した。
これら機密文書が次々と公開され、その研究が進んできた結果、ルーズヴェルト大統領の側近であったアルジャー・ヒス(傍線は共産党員又は協力者と思われる人物。以下同じ)を始めとする二百人以上のスパイ(あるいは協力者)が政府官僚として働いていたことが立証されつつあるのだ。

ヴェノナ文書が暴いたルーズヴェルトの戦争責任
今も続く大東亜戦争の本質(日本vs米+支)
2015・10・29 ユーチューブ 元動画 DHCシアター
日本が嫌いで封じ込めたアメリカの誤算は中国の動き?マスゴミが隠すアジアの平和と国益を守る為に手を組むべき真の相手とは?武田邦彦
「コメント」
ナシ
「投稿紹介」
ニクソンは、日本に憲法改正をして核武装もしてくれっと言ったらしいです。
ベトナム戦争で疲弊し切っていた上にソ連・中国 ふたつの共産党と対峙しなければならなく成っていたからです。
佐藤栄作は是とするも、既に中共・工作機関のプロパガンダに完全に蝕まれていた日本与論が、アメリカの意向を容認できる筈もなかった。
 
※あなたはアメリカを信じますか?
嘘のマニラ大虐殺=アメリカ軍の艦砲射撃or嘘の死の行進、嘘の酷い事した日本軍
2017・7・15 吉村英輝 【マーライオンの目】 写真撮って来いよ!
産経ニュース この夏、特攻隊員の像が立つ「カミカゼ神社」に行ってみては
「記事内容」
フィリピン北部ルソン島に「カミカゼ神社」があると聞き訪ねた。
マニラから車で3時間。
パンパンガ州の高速道に近い幹線道路沿いに、コンクリート製の鳥居を見つけ、目的地だと分かった。
旭日旗とフィリピン国旗のモニュメントの前に、特攻隊員の像がすくっと立っていた。
マバラカット東飛行場跡の西端に位置し、当時の帝国海軍航空隊員が1944年10月、
  「神風(しんぷう)特別攻撃隊」を編成し、米国艦船群を標的にここから飛びたち、爆装した機体ごと敵艦船に突っ込み撃沈させた。緒戦のこの成功が、その後の「神風戦術」に拡大していった。
現地の観光局などが建立したこの「神風平和祈念公園」の碑文に、日本語と英語でそう書かれていた。
太平洋戦争後、この地域は米クラーク空軍基地として、ベトナム戦争などの出撃基地となった。
だが、近くのピナトゥボ火山が噴火したこともあり、91年に米軍は撤退を決定。
周辺は現在、空港などの立地を生かした工場が立ち並ぶ。
先の大戦で激戦地となった東南アジアには同様の平和祈念碑が多い。
だが、時代とともに訪れる日本人は減っているようだ。
戦争について考える機会が増える夏がやってきた。
旅行の際には足を運び、地元住民を含め戦没者の先人たちに平和を誓いたい。
 ※フィリピンの歴史教育はアメリカにより歪められている気がしてならない。
動画の投稿を見ていると違和感を覚える記述がある。
産経よ、フィリピンの歴史教科書を確認してくれ!
真珠湾攻撃
2016・12 IRONNA 
真珠湾攻撃75年目の真実
「記事抜粋」
1941年12月8日、旧日本軍の空母6隻と航空機約350機などからなる機動部隊がハワイ・真珠湾の米軍基地を強襲した。
米側は軍艦6隻が撃沈し、約2400人が犠牲となった。
なぜ日本は真珠湾攻撃を決断したのか。日米開戦75年目の真実を読み解く。
  米歴史家が嫌がる「真珠湾」研究  真珠湾の過去が精算されるとき  戦艦「アリゾナ」撃沈の大勝利
  「平」で決まった真珠湾攻撃  不決断のハムレットにあらず  米国を怒らせた愚挙  真珠湾攻撃の無線日誌発見
  真珠湾に狂喜した文学者たち
  Q : 真珠湾攻撃は旧日本軍による「だまし討ち」だったと思いますか?
2016・12・28現在 思う 3  思わない 65  どちらでもない 6
 
※日本の歴史は嘘吐き左翼の歴史学者に任せる必要なし!
大日本帝国の大東亜戦争は既に、ネットで明らかにされつつある。
真珠湾攻撃の野村全権大使の不可解な行動も・・・
日本人の幸福を考えない嘘つき安倍総理の綺麗事!
2016・12・28 産経ニュース ホノルル=田北真樹子 【安倍首相真珠湾訪問】
安倍晋三首相が真珠湾で演説 「パールハーバーは和解の象徴」「世界は和解の力を必要としている」
「記事内容」
安倍晋三首相は27日午前(日本時間28日午後)、米ハワイ・真珠湾のキロ埠頭で演説し、かつて敵同士だった日米を結びつけたのは「寛容の心がもたらした『和解の力』だ」と述べ、「日米はいまこそ寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく任務を帯びている」と訴えた。
安倍首相の演説は「和解の力」と題し、オバマ大統領とともに真珠湾の追悼施設「アリゾナ記念館」で献花し、黙祷をささげた後に行われた。
首相は、昭和16(1941)年12月8日(ハワイ時間7日)の旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者に対し「この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪ったすべての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった数知れぬ無辜の民の魂に、永劫の哀悼の誠をささげる」と述べ、戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないとの「不動の方針」を強調した。
その上で、真珠湾攻撃に参加して戦死した日本海軍士官の勇気をたたえ米軍が墜落現場に記念碑を建てたように、日本の戦後復興と国際社会への復帰を支援した米国民の「寛容の心」に「心からの感謝を申し上げる」と述べた。
首相は「憎悪が憎悪を招く連鎖はなくなろうとしない。寛容の心、和解の力を世界はいまこそ必要としている」とも指摘。
寛容の大切さと和解の力を訴えていかなければいけないからこそ「日米同盟は『希望の同盟』なのだ」と説明した。
 ※嘘つき安倍総理の演説は「和解」と「寛容の心」、これは日本人だけの思いである。
嘘つき安倍総理は「歴史戦」にどう立ち向かうのか? 大きな問題が残されている。
「歴史戦」は今、鋭い刃を突きつけているアメリカの嘘つき歴史学者と一部の退役軍人、大日本帝国と本格的な戦争もしていない中華人民共和国の嘘つきシナ人、大東亜戦争を共に戦った朝鮮人(韓国人と北朝鮮人)、台湾やフィリピン、オーストラリア、インドネシアに住む華僑(元シナ人)の手に拡大し、世界に日本の嘘が拡大している。
「歴史戦」は日本の政治指導者と外務官僚の事なかれ主義が嘘を世界に拡散させたと言える。
ビックニュース・秘密のベールが剥がれ始めた
2016・12・26 西日本新聞
「真珠湾」通告遅れは意図的か 対米開戦に新説 九大教授が米記録発見
「記事内容」
太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、日本外務省が意図的に電報発信を遅らせたことが原因とする説が浮上している。
九州大学記録資料館の三輪宗弘教授が、通告の訂正電報を外務省が13~14時間遅らせて発信していた記録を、米国公文書館(メリーランド州)で発見した。
開戦から75年。安倍晋三首相がハワイ・真珠湾を訪問するが、通告の遅れに関する真相究明が進んでいる。
日本が日米交渉の打ち切りを米国に伝えた「対米覚書」が、開戦通告と位置付けられている。
三輪教授が発見したのは、覚書の一部である二つの電報の発信記録。
外務省が大使館に発信し、米海軍が傍受したもので、1941年12月7日の「午前0時20分」と「午前1時32分」(いずれも米東部時間)とある。
この電報の存在と時刻が何を意味するのか。
  電報は14部に分けて発信
旧日本軍が真珠湾攻撃を開始したのは、同7日午後1時19分。
覚書が当時のハル米国務長官に手渡されたのは1時間後の午後2時20分だった。
この遅れが、米国から「だまし討ち」と批判される原因となった。
覚書は、外務省が発信した暗号電報を大使館が解読し、英文に直してタイプライターで作成した。
長文のため、電報は14部に分けて発信された。
1~13部は同6日午前8時~11時25分に発信されており、内容はこれまでの日米交渉を確認するにとどまる。
交渉を打ち切るという「結論」は14部で初めて分かるが、ぎりぎりまで機密を保持するため、13部から約15時間後の7日午前2時38分に発信された。
  二つの訂正電報が出されるまで13~14時間の「空白」
現在の通説はこうだ。大使館は6日中に13部までをタイプライターで清書し、7日朝に14部を追加すれば開戦前に通告できたはず。
しかし、大使館は7日朝から1~14部の清書を始めたため、間に合わなかった。
6日夜に大使館内で送別会があっていたことなどから、大使館の「怠慢」が通告遅れを招いた-。
だが、三輪教授は、元外務省ニュージーランド大使の井口武夫氏が2008年の著書で触れた訂正電報の存在に注目した。
当時、大使館の1等書記官だった奥村勝蔵氏が、1945年に「夜半までに13通が出そろったが、後の訂正電信を待ちあぐんでいた」と陳述していた。
三輪教授は、大使館が1~13部の「訂正電報」を待っていたため、清書ができなかったとする仮説を立てた。
訂正が175字に上っていたことも外交資料で分かった。
当時のタイプライターは途中で挿入や訂正ができない。
大使館は「訂正電報」が届くまで清書ができなかったのではないか。
発見した二つの電報は、他の電報の詳細と突き合わせた結果、「訂正電報の可能性が極めて高く、奥村証言を裏付ける証拠」と三輪教授は読む。
13部が発信された6日午前11時半から、二つの訂正電報が出されるまで13~14時間の「空白」がある。
この間、大使館は清書ができない。
これが事実とすれば、では何のために、外務省は訂正電報を遅らせたのか。
 
※外務省にコミンテルンがいたのか? 恣意的に電報を遅らしたのか? 最後通牒にしては電文が長すぎると思う。
野村全権大使が何故、戦後、GHQから丁重に扱われたのか? 理由が探れる可能性が出て来た。
だが、野村全権大使は何故、戦後、「正直に告白しなかったのだろうか」と疑義が生じる。
正義は大日本帝国にあり
2016・12・25 産経ニュース (1/5ページ) 【入門・日米戦争どっちが悪い(4)】
満州を狙い日本に嫌がらせした米国 支那事変拡大にコミンテルンの影
「記事抜粋」
北米大陸の中で侵略を行っていた米国は、欧州諸国に比べ遅れて現れた帝国主義国家でした。
太平洋に達し、中国大陸を狙ったときには、わが国やフランス、ドイツ、英国が入っていて、米国の割り込む場所はありませんでした。
  「門戸開放」言いながらブロック経済  F・ルーズベルトが大統領に  支那事変はソ連、中国共産党に好都合
中略
コミンテルンの工作は米国や中国国民政府だけでなく、わが国にも及んでいました。
「国民政府を対手とせず」という声明で交渉の道を閉ざして支那事変を泥沼化させ、わが国に統制経済(つまり社会主義経済)を導入した首相の近衛文麿は、コミンテルンの影響を受けていました。
近衛のブレーン集団、昭和研究会は社会主義者で占められ、メンバーの元朝日新聞記者、尾崎秀実(ほつみ)は支那事変を言論を通じてあおりました。
後にリヒャルト・ゾルゲの下でソ連のスパイとして活動していたとして逮捕されました(ゾルゲ事件)。
尾崎は検事に対し、わが国が社会主義国に転換するために「特にソ連の援助を必要とするでありましょうが、さらに中国共産党が完全なヘゲモニーを握った上での支那と、資本主義機構を脱却した日本とソ連との三者が、綿密な提携を遂げることが理想的な形と思われます」と持論を供述しました。
ルーズベルトは盧溝橋事件から3カ月後の10月5日の演説で、名指しは避けながらもわが国を「疫病」にたとえて非難し、「隔離」せよと訴えて挑発しました(隔離演説)。
支那事変に中立でなければならない米国や英国は、仏印(フランス領インドシナ。
今のベトナムなど)や英領ビルマ(今はミャンマーと呼ばれています)を通じて中国の国民政府に援助物資を運び込みました(援蒋ルート)。
わが国に対する経済的締め付けも始まりました。
米国務長官コーデル・ハルの特別顧問で親中反日のスタンレー・ホーンベックは1938年12月、ハルに「米国国民は今や思い切った行動を歓迎している」として日米通商航海条約廃棄を提案。
翌1939年7月、米国はわが国に条約廃棄を通告してきました。
この年の12月にはモラルエンバーゴ(道義的輸出禁止)として航空機ガソリン製造設備、製造技術に関する権利の輸出を停止すると通知。
翌1940年8月に航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸、9月にはくず鉄の対日全面禁輸を発表するなど、真綿で首を絞めるようにわが国を圧迫していきました。
 
※アメリカはABCD包囲網構築で事実上、大日本帝国へ宣戦布告をした。
大日本帝国は嘘のハルノート(コミンテルンが仕組んだ罠・民族差別)と蒋介石の裏切りで引き込まれた大東亜戦争日米戦を迎えた。
大東亜戦争は優れた日本人が避けて通れない太く長い道であった。
日本人の美徳に性善説があるが、性善説は日本人だけに通用する概念である。
日本人は今尚、シナ人と朝鮮人、アメリカ人(白人)の本質を知らないが、同じ過ちを決して繰り返してはならない。
日本人よ、史実に学べ! 反日日本政府よ、嘘は史実で対抗しろ!
日本政府は先ず、大東亜戦争の総括をしろ! 
この世は嘘だらけ、日本人よ、心に刻みシナ人と朝鮮人、白人に挑め! 
ソ連の裏切りを忘れるな!
2016・12・21 チャンネル桜 フロントジャパン 最重要動画 日本人必見!
【Front Japan 桜】北方四島はロシアの勲章 / 2016年を振り返る その2・世界編[桜H28/12/21]
「コメント」
 キャスター:高山正之・浅野久美
  ■ 北方四島はロシアの勲章
  ■ 2016年を振り返る その2・世界編
嘘つき安倍総理・大東亜戦争アメリカ戦に何を思う
2016・12・19 THE PAGE
安倍首相のハワイ真珠湾訪問、戦後社会の総括と日米同盟再確認の意義
「記事内容」
安倍首相が太平洋戦争のきっかけとなったハワイの真珠湾を訪問することになりました。
これにはどのような意味があるのでしょうか。
  首相の真珠湾公式訪問と慰霊の意味
安倍首相は12月の26日と27日に米国ハワイを訪れ、真珠湾攻撃の犠牲者をオバマ大統領とともに慰霊する予定であることを明らかにしました。
ハワイの真珠湾には米太平洋艦隊の基地が置かれており、75年前の12月8日に、旧日本海軍の空母機動部隊が奇襲攻撃を行いこれによって太平洋戦争が始まりました。
これまで日本の首相が公式に真珠湾で慰霊を行うことはありませんでした(一部から吉田茂元首相が1951年に真珠湾を訪問しているという指摘が出ていますが、これはサンフランシスコ条約調印の際にハワイに立ち寄ったということであり、この時点で日本はまだ正式に国際社会に復帰できていません。
また真珠湾を訪問したというよりも、軍人との面会のため真珠湾に面した海軍基地を訪問したということですから、首相による公式の慰霊は安倍氏が初めてと考えて差し支えないでしょう)。
その理由は、真珠湾で慰霊を行ってしまうと、場合によっては米国に対する謝罪と受け取られてしまう可能性があったからです。
米国人にとって真珠湾攻撃は、自国領土に対する数少ない直接攻撃であり、相当なショックを伴うものでした。
日本側の手違いで宣戦布告が遅れたこともあり、結果的にだまし討ちのような状態になってしまったこともさらに印象を悪くしています。
9.11のテロが発生した際、キッシンジャー元国務長官が「これはパールハーバーである」と発言したことが、イラク戦争の決断に大きく影響したとも言われていますが、一部の米国人にとって真珠湾攻撃はそのくらい許せない行為なのです。
したがって、純粋に慰霊のためとはいえ、首相が公式に真珠湾を訪問することは控えられてきたわけです。
  オバマ大統領の広島訪問と戦後社会を総括する流れ
今回、安倍首相の訪問が実現したのは、戦争から75年という節目の年であることに加え、オバマ大統領が広島を訪問したことも大きく影響しているでしょう。
広島・長崎への原爆投下については米国内でも見解が分かれていますが、そのような中でオバマ大統領が広島を訪問したということは、戦後社会を総括する流れが出来上がってきたことを示しています。
日米同盟の意義を再確認するという意味では今が最適なタイミングなのかもしれません。
ただ、今回の訪問に対しては、少し違った見方もできるでしょう。
これまで多くの困難を伴った米大統領の広島訪問と日本の首相による真珠湾慰霊が実現したということは、太平洋戦争をきっかけに成立した戦後社会の枠組みが、ある意味で過去のものになったと解釈することができます。
実際、米国は以前ほど国際社会に関心を寄せなくなっており、自国中心主義に傾いています。
トランプ次期大統領は12月8日に際して、日米同盟には言及せず「自由のために多くの犠牲を払った」「勝利に代わるものはない」と厳しいコメントを出しました。
 
※嘘つき安倍総理は反日・親シナのキッシンジャーに勲章を授与、日本はキッシンジャーに苛め抜かれたと言ってもいいが、何を考え勲章を授与したのか? 考えれば考える程、腹が立つ。
トランプ大統領に変わって以降、「歴史観」だけは変わりそうに何のだが・・・
嘘つき安倍総理はハワイから帰ったその足で、靖国へ参拝し、英霊に己の不始末の数々を詫びるべきである。
大東亜戦争はアメリカの人種差別
2016・12・18 産経ニュース (1/5ページ) 地方部編集委員 渡辺浩 【入門・日米戦争どっちが悪い(3)】
日露戦争機に対日戦想定した米国 日本人移民を排斥
「記事抜粋」
米国がハワイやフィリピンを奪っているころ、わが国は日清戦争に勝ち、1895(明治28)年の下関条約で満州の玄関口である遼東半島を割譲されました。
ところが清は約束に従わず、ロシアに泣きつきました。
ロシア、フランス、ドイツはわが国に対して「東洋平和のため遼東半島を清に返せ」と迫り、ロシアの軍事的脅威を感じたわが国は屈服しました(三国干渉)。
その後、「東洋平和」どころか、三国に英国も加わって清に群がり、相次いで領土を奪っていったのです。
清はわが国から取り戻した遼東半島をロシアに貸し与え、満州はロシアの支配下になりました。
このときはまだ米国の姿はありません。
  T・ルーズベルトは親日ではない  日本側には敵対感情なかったのに…  葬り去られた人種差別撤廃条項
中略
1920年、カリフォルニア州で第二次排日土地法が成立し、米国国籍を持つ日系2世、3世の名義で土地を取得することも禁じられ、日本人移民は農業から締め出されました。
1923年、連邦最高裁は、黄色人種である日本人は帰化不能外国人との判決を下しました。
そして1924年には州法ではなく米国全土の法律として排日移民法が成立し、日本人の移民は禁止されたのです。
既に米国にいる日本人移民が親や妻子を日本から呼び寄せることも禁止されたため、日本人移民の家庭を崩壊させるものとなりました。
日本人は米国からこんな仕打ちを受けるとは夢にも思っていませんでした。=つづく
嘘つき安倍総理、真珠湾慰霊の旅
2016・12・17 産経ニュース (1/9ページ) 重要記事 必見
安倍晋三首相の真珠湾訪問で暴かれる「日本だった韓国」と「逃げ回った中国共産党」 「抗日戦勝利」の妄想
「記事抜粋」
安倍晋三首相の米ハワイ・真珠湾訪問は、大東亜戦争で激烈な戦いを繰り広げた主敵が米国だった不動の史実をクッキリと浮かび上がらせる。
半面、日本を打ち破り、独立を果たしたと、「抗日戦勝利」なる夢に取り憑かれた韓国と中国の「戦勝国なりすまし」を際立たせる。
  (※12月12日にアップされた記事を再掲載しています)
韓国は大日本帝国に併合され、韓国人は帝国軍人として戦った。
日本を負かした米国の進駐で、棚ぼた式に日本統治が終わりを迎えた。
中国大陸でも、帝国陸海軍の正面は国民党軍で、共産党軍は逃げ回っていた。
降伏調印式には当然、中華民国=国民党代表が出席した。
近代史を不完全燃焼で終えた分、中韓両国は今になって対日嫉妬の炎をたぎらせる。
歴史を正視すると、自信や誇りが傷付くので、歴史の捏造・粉飾で傷口を癒やす。
「戦勝国気分」を味わいたい両国は「歴史づくり」の一環として将来、真珠湾での追悼式典に出席を打診するかもしれない。
その際、米国側には是非、「式典は、式典会場外側の観光客ゾーンからながめて」と、中韓への正確な返答を求めたい。
朝鮮民族は、大東亜戦争(1941~45年)以降、今に至るまで「連合国」を気取ってきたが、近代に入り日本と朝鮮は本格的に戈を交えていない。
戦前~戦中~戦後と、まともな対日ゲリラ抗戦も民族蜂起も起きていない。
むしろ、1910年に併合された朝鮮は枢軸国・大日本帝国として戦った。
国際法上も実態上も連合国詐称は無理スジだ。
つづく
 
※嘘つき安倍総理は日本を取り戻すは嘘だった!(真珠湾慰霊の旅は別)
色々噂のある残留日本人
2016・12・12 産経ニュース 
「残留日本人の生存確認」 北朝鮮東部、総連紙報道

「記事内容」
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)機関紙、朝鮮新報(電子版)は12日、北朝鮮東部の咸鏡南道咸興で、戦後の混乱を経て朝鮮半島にとどまった日本人が生存していることが確認されたと報じた。
北朝鮮の「日本研究所」関係者の話としている。
北朝鮮が日朝合意に基づき設置した拉致問題再調査を行う特別調査委員会は、残留日本人についても並行調査していた。
北朝鮮は2月に委員会解体を表明したが、新たな生存確認は残留日本人の調査が続いていることを示唆している。
日本研究所の●喜勝上級研究員は、生存が確認された残留日本人について「時期や条件が整えば、本人の意向によって公開され得る」と話した。
●氏は、北朝鮮に眠る日本人の遺骨調査を担当していた。
●=恵の心を日に
 
※怪しいニュース、拉致被害者を帰す気が無いのであろうが、新たに人質にするつもりなのか?
嘘つきシナ人、嘘つき朝鮮人(韓国人)
2016・12・12 産経ニュース (1/9ページ) 【野口裕之の軍事情勢】
安倍晋三首相の真珠湾訪問で暴かれる「日本だった韓国」と「逃げ回った中国共産党」 「抗日戦勝利」の妄想

「記事抜粋」
安倍晋三首相の米ハワイ・真珠湾訪問は、大東亜戦争で激烈な戦いを繰り広げた主敵が米国だった不動の史実をクッキリと浮かび上がらせる。
半面、日本を打ち破り、独立を果たしたと「抗日戦勝利」なる夢に取り憑かれた韓国と中国の「戦勝国なりすまし」を際立たせる。
韓国は大日本帝国に併合され、韓国人は帝国軍人として戦った。
日本を負かした米国の進駐で、棚ぼた式に日本統治が終わりを迎えた。
中国大陸でも、帝国陸海軍の正面は国民党軍で、共産党軍は逃げ回っていた。
降伏調印式には当然、中華民国=国民党代表が出席した。
近代史を不完全燃焼で終えた分、中韓両国は今になって対日嫉妬の炎をたぎらせる。
歴史を正視すると、自信や誇りが傷付くので、歴史の捏造・粉飾で傷口を癒やす。
「戦勝国気分」を味わいたい両国は「歴史づくり」の一環として将来、真珠湾での追悼式典に出席を打診するかもしれない。
その際、米国側には是非、「式典は、式典会場外側の観光客ゾーンからながめて」と、中韓への正確な返答を求めたい。
朝鮮民族は、大東亜戦争(1941~45年)以降、今に至るまで「連合国」を気取ってきたが、近代に入り日本と朝鮮は本格的に戈を交えていない。
戦前~戦中~戦後と、まともな対日ゲリラ抗戦も民族蜂起も起きていない。
むしろ、1910年に併合された朝鮮は枢軸国・大日本帝国として戦った。
国際法上も実態上も連合国詐称は無理スジだ。
つづく
  棚ぼた式でもらった独立  中国の「誇大倍率」  避戦に徹した共産党軍
中略
持久戦論によると、戦争は3つの段階を踏む。
  (1)敵の進攻⇔自軍の防御(1937~38年)
  (2)彼我の対峙 敵の守勢⇔自軍の反攻準備期間(1938~43年)
  (3)自軍の反攻⇒敵の退却⇒殲滅(1943~45年)
ところが、(3)段階の頃、帝国陸軍は50万の兵力で対中戦争最大の作戦《大陸打通作戦》を実行し、戦略目的達成はともかく、作戦通りの地域を占領した。
結局、支那派遣軍は終戦時点でも100万以上の兵力を有し、極めて優勢だった。
第二次世界大戦におけるわが国の戦死者240万の内、中国戦線での戦死は46万人。
日本敗北は毛が主唱する遊撃戦の戦果ではない。
米軍の原爆を含む圧倒的軍事力がもたらしたのである。
ところで、安倍首相の真珠湾訪問を前にバラク・オバマ米大統領は声明を出した。
  「最も激しく戦った敵同士が最も緊密な同盟国になれる」
  「戦っていない」中韓両国とはお友達になれないとの理屈になるが、「戦っていた」としてもお友達にはなれそうにない。
 
※シナ人と韓国人は何時、史実を知るのだろうか?
嘘つき安倍総理、真珠湾訪問
2016・12・11 DHCシアター  最重要動画 必見 
馬渕睦夫『和の国の明日を造る』 #32
「放送内容」
監修・出演:馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使兼モルドバ大使 元防衛大学校教授)
生放送・収録:2016年12月7日
  #32 テーマ:「真珠湾攻撃75周年に思う」 「質疑応答」コーナー
 
※大東亜戦争の日米戦、政治的和解とは何か? アメリカの戦争犯罪を問うのか? 「歴史戦」東京国際軍事裁判・嘘つきアメリカ人が捏造した嘘をどう扱うのか? 共産主義者が動かしたアメリカ、大東亜戦争の総括をするのか?
難題が山積みの日米関係だが、大東亜戦争の史実無くして日米和解は無い。
ここまで明らかになった史実だが、反日日本政府と嘘つき安倍総理始め自民党は何時まで、国民を騙し欺き続けるのか? 嘘が続けば自民党は将来、国民から審判を受けるのであろう。
日本ファーストを掲げた新たな政党と政治家の出現が待たれる日本である。
恩を仇で返すアメリカ人はシナ人と朝鮮人と同じ
2016・12・10 産経ニュース (1/5ページ) 地方部編集委員 渡辺浩 【入門・日米戦争どっちが悪い(2)】
先住民を追い出し太平洋に出た米国 略奪を「明白な運命」と正当化
「記事抜粋」
北米大陸では英国人によるバージニア植民地樹立に続き、1620年にメイフラワー号で渡った清教徒(英国国教会と対立するキリスト教原理主義者)たちをはじめ、英国で食い詰めた人たちなどが次々と移り住みました。
過酷な環境が待っていましたが、元から住んでいたインディアンたちから食べ物や衣服をもらったり、トウモロコシの栽培を教わったりして生き延びました。
しかし、インディアンは恩をあだで返されることになります。
  マニフェストデスティニーとは何か
1776年のアメリカ独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」などとうたっていますが、インディアンや黒人は適用外というご都合主義でした。
米国人は無数の黒人奴隷を「輸入」してこき使うとともに、「西部開拓」の名のもとに、インディアンを追い出したり殺したりして西へ西へと拡張を続けました。
米国人が建国以来、インディアンの部族と結んだ条約は370に上りますが、それをことごとく破りました。
インディアンの衣食住の糧であり、信仰の対象だったバファローをレジャーとして殺していきました。
1830年にはインディアン強制移住法を作り、約10万人のインディアンを強制的に徒歩で移住させました。
チェロキー族の移住は1900キロの道のりの途中、1万5000人のうち4000人が亡くなり、「涙の道」と呼ばれています。
つづく
  脅しによって開国させられた日本  ハワイやフィリピンも征服  
中略
フィリピンを攻めるとき、米国は独立運動のリーダー、エミリオ・アギナルドに「スペインを追い出すから協力してほしい。追い出したら独立させる」と言って協力させましたが、約束を破って併合を宣言し、20万人とも60万人ともいわれるフィリピン人を殺しました(米比戦争)。
太平洋の次に狙ったのは中国大陸でした。
 
※当然、アメリカ人である。
世界の歴史は嘘つきアメリカ人(白人)とシナ人による大虐殺の歴史でもある。
吉田茂・ハワイ慰霊
2016・12・10 楊井人文 日本報道検証機構代表・弁護士 
吉田茂が真珠湾を訪問していた証拠 「安倍首相が初めて」は誤報 
「記事抜粋」
安倍晋三首相は12月26日から米国・ハワイを訪れ、オバマ大統領とともに慰霊のため真珠湾を訪問すると発表した。
これを受け、多くの主要メディアが「日本の現職首相が真珠湾を訪れるのは初めて」と報道。
一方、読売新聞は1951年9月に吉田茂首相(当時)が真珠湾を訪れていたと指摘し、食い違いが表面化した。
日本政府は吉田首相が真珠湾を訪れていたかどうかは確認がとれないとしているが、日本報道検証機構が調査したところ、1951年当時米太平洋艦隊司令長官だったアーサー・W・ラドフォード氏(Arthur W. Radford、1973年死去)が、真珠湾に置かれていた米太平洋艦隊司令部を吉田首相が訪れたときの様子を克明に語り、回顧録に残されていたことがわかった。
AP通信も当時、吉田首相が真珠湾にラドフォード長官を訪れたと報道していた。
  吉田茂は太平洋艦隊司令部を訪れ、真珠湾を見渡していた
吉田首相は平和条約調印のため、1951年9月2日から米国・サンフランシスコを訪問した。
向かう途中の8月31日~9月1日と、帰る途中の9月11~12日、ハワイに滞在したとされる。
つづく
  当時の報道とも一致 すでに訂正したメディアも  吉田茂はハワイで慰霊もしていた
  【アーサー・W・ラドフォード氏の回顧録より】
大東亜戦争・アメリカ戦
2016・12・8 現代ビジネス (1/3ページ) 森山 優 読書人の雑誌「本」2016年12月号より
日本はなぜ開戦に踏み切ったか? 真珠湾攻撃「情報戦」の真実 アメリカの正義はこうして作られた
「記事抜粋」
  日米戦争という難題
日本は、なぜアメリカと戦争をしたのだろうか。
以前、当時の日本の政策決定過程を検討した『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』(新潮選書)を上梓したが、その鍵となる概念は「非決定」と「両論併記」であった。
強力なリーダーシップが存在しない日本が危機に際してずるずると戦争に向かっていく過程を描いた拙著は、単なる過去の話ではなく、身近に感じられる事例として読者の方々に受け入れていただけたようである。
日米が戦争へと向かう大きな分水嶺となったのは、1941年7月の日本の南部仏印(現在のベトナム南部)進駐と、それに対する米英オランダ(蘭)の対日全面禁輸だった。
しかし後世から見れば決定的と思える日米の決断が、どのような意図をもってなされたのか、一般にはあまり理解されていない。
両国ともに、その決定過程がきわめて複雑だからである。
中略
  「国策」と「情報戦」  説得力のない真珠湾陰謀説  決して昔話ではない
中略
問題は、アメリカの政策担当者がMagic情報を入手したことで、自分は日本の出方を知っていると思い込んだことであろう。
自分が色眼鏡でインフォメーションを見ていることに気づかず、そこに「見たいものを見た」ため、外交による解決努力は大きく損なわれ、戦争に近づく動因となった。
日本が戦争に踏み切ったため、自ら侵略戦争を選んだ結果となり、アメリカには正義が転がり込んだ。
彼らの偏見はすべて事実となり、誤謬は歴史の闇のなかに消えていったのである。
いったい情報は、どのように利用されるべきなのか。
情報化社会に生きる我々にとって、これは75年前の昔話ではない。
真珠湾攻撃
2016・12・7 チャンネル桜 
【Front Japan 桜】真珠湾攻撃とは何だったのか? / 「2016年を振り返って」 その1 国内編[桜H28/12/7]
「放送内容」
  キャスター:高山正之・浅野久美
 ■ 真珠湾攻撃とは何だったのか?
 ■ 「2016年を振り返って」 その1 国内編
大東亜戦争・真珠湾攻撃と日米の将来
2016・12・7 DHCシアター 最重要動画 必見 

「放送内容」
外交官として各国を渡り歩いてきた馬渕睦夫元大使が語る“日本温故知新”―。
「日本人であることの意味」を振り返り、日本の未来を指し示します。
 【2016年12月7日(水)20:00〜21:00】
  テーマ:「真珠湾攻撃75周年に思う」
  ・質疑の時間
出演:馬渕睦夫
嘘つき安倍総理ハワイ訪問
2016・12・6 時事通信
米主要紙「象徴的」「画期的」=安倍首相の真珠湾訪問
2016・12・6 産経ニュース 
【安倍晋三首相真珠湾訪問】
「傑出した知性示せる」「軽率な言動取らないはず」 識者はどう見る? (2)

2016・12・7 産経ニュース (1/3ページ) 田北真樹子 【首相、真珠湾慰霊へ】
首相は「戦後政治の総決算」を模索し続けた…そこに横やりを入れたのはオバマ側近のあの女だった (3)

2016・12・7 産経ニュース 【産経抄】
原爆投下と真珠湾同列視はあり得ない 12月7日 (4)

2016・12・7 産経ニュース (1/2ページ) 【主張】
首相の真珠湾訪問 まず靖国参拝を再開せよ (5)
「記事抜粋」
安倍晋三首相が5日、米ハワイの真珠湾を訪問すると発表したことは、米主要紙なども大きく伝えた。
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、5月に被爆地・広島を訪れたオバマ大統領への返礼となる「象徴的な訪問」と報道。「画期的な訪問」の見出しを立てたワシントン・ポスト紙(電子版)は、首相の訪問は「歴史修正主義的な見解を促進する政権内の保守勢力を怒らせるだろう」と分析した。
ロイター通信は「安倍首相がオバマ大統領との首脳会談のためにハワイを訪問し、日本の真珠湾攻撃の犠牲者を追悼する」と報道。
フランスのAFP通信も「安倍首相が真珠湾を訪れる最初の日本の首相となる」と伝えた。
韓国の聯合ニュースは、オバマ大統領の広島訪問時、共和党候補だったトランプ次期大統領が「(真珠湾攻撃で)数千人の米国人が命を失った」と批判したことにも触れた。 
  (2)
「記事内容」

現職首相として初めて米ハワイの真珠湾を訪問すると発表した安倍晋三首相。識者はこれをどう見るか。
  ◇杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏(国際政治学)
  「オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の真珠湾訪問は連動しており、日米関係にとって好ましいことだ。ただし、安倍首相は謝罪するべきではなく、あくまで慰霊の訪問に徹してほしい。あらゆる国家には独自の歴史認識があり、自国の歴史観を貫きながら相手の立場も理解することが必要だ。今回の訪問は、戦った国同士がいつまでも禍根を残すべきではないということを行動で示すことになる。日米両国の最高指導者が世界でも傑出した知性を示すことになると思う」
  ◇拓殖大学客員教授の潮匡人氏(安全保障)
  「広島でオバマ大統領が謝罪したようにも、していないようにも見えたように、安倍首相も曖昧な言動をするだろう。開戦の通告が遅れたことは歴史的事実として認められていることだが、侵略戦争を認めるとなれば重大な戦争犯罪に問われることになる。安倍首相は広島と長崎への原爆投下、全国への空襲爆撃の遺族の思いも理解しているはずなので、軽率な言動は取らないだろう。和解から、未来に向けた、さらなる日米関係強化のための一歩になることを期待している」
  (3)
「記事抜粋」

安倍晋三首相は26、27両日、先の対米戦の端緒となった米ハワイ・真珠湾をオバマ米大統領と訪れ、慰霊することになった。昭和16(1941)年12月8日の真珠湾攻撃から75年。
首相は、中国・韓国が仕掛け、欧米にもくすぶる歴史戦に終止符を打ちたいとの思いが強い。
だが、その裏では日米間で激しい綱引きが繰り広げられていた。
  「戦後政治の総決算に挑むつもりだ」
首相は5日夕、国会内の自民党総裁室で開かれた党役員会で唐突にこう語った。
くしくも中曽根康弘元首相の在職日数1806日を抜き戦後歴代4位になったばかり。
中曽根内閣のスローガンが「戦後政治の総決算」だっただけに、党役員らは「何でまた急に…」と顔を見合わせた。
その2時間後、首相はハワイ訪問を明かし、「4年間を総括し、未来に向けてさらなる同盟強化の意義を世界に発信する機会にしたい」と語った。
党役員らは、テレビに映る首相の姿を見て「このことだったのか」と得心したという。
つづく
  (4)
「記事抜粋」

ルーズベルト米大統領が、連邦議会の上下両院合同会議で日本への宣戦布告を求める演説を行ったのは、真珠湾攻撃を受けた翌日、1941年12月8日だった。
「昨日は、『汚辱の日』として永遠にとどめられる」。日本のだまし討ちを非難するとき、必ず使われるフレーズである。
  ▼合同会議では、海外の要人も多く演説してきた。
日本の首相に機会が与えられなかったのは、ルーズベルトの“呪縛”ゆえであろう。昨年4月、それを打ち破ったのが安倍晋三首相だった。
  ▼首相は、演説の中にあえて「真珠湾」を盛り込み、敵対国から同盟関係となった日米の「心の紐帯(ちゅうたい)」を訴えた。ほとんどの議員から高く評価された演説は、今年5月のオバマ大統領による、被爆地・広島訪問の下地を作った。
もちろん5日夜、電撃的に発表された、首相の真珠湾訪問にもつながっている。
  ▼先月、ニューヨークで行われた首相とトランプ次期米大統領の会談をめぐり、米政府が不快感を示したとの報道が一部であった。
その後ペルーで顔を合わせた首相とオバマ氏が立ち話で済ました事実も、「不仲」の証拠とされた。
  ▼実は数分間の会話のなかで、ハワイで行う両首脳の最後の会談について、最終確認が行われたようだ。
首相は、オバマ氏とともに日米和解の総仕上げを演出するつもりらしい。
同盟の深化を中国やロシア、韓国、北朝鮮に見せつける、絶好の機会にもなる。
  ▼ただ安倍首相は、今回の慰霊の旅はオバマ氏による広島訪問の「返礼ではない」と強調している。
当然である。一般市民を無差別に殺戮(さつりく)し、放射性物質をまき散らした原爆投下と、軍事施設を奇襲した真珠湾攻撃、道義的に同列に扱うのは歴史に対する冒涜(ぼうとく)でしかない。
  (5)
「記事抜粋」

安倍晋三首相が26日から、米ハワイを訪問してオバマ大統領とともに戦没者を追悼する。
折しも日米開戦から75年を迎える。
静かな慰霊を通して日米友好を一層深め、国際社会の平和に貢献する決意を新たにする機会とすべきだ。
併せて、ハワイを訪れるちょうど3年前に行った靖国神社の参拝を、首相が再開することを求めたい。
開戦当時、国民が総力をあげて戦い、日本は米国に敗れた。
それから時間をかけ、両国は成熟した関係を築いた。
戦争を知らない世代にも、改めて日米が歩んだ歴史を知ってほしい。
真珠湾攻撃は、日本時間の昭和16(1941)年12月8日未明、日本の海軍機動部隊が真珠湾に停泊中の米太平洋艦隊を奇襲し、日米戦争の火ぶたを切った。
今も湾内に米戦艦「アリゾナ」が沈み、艦をまたぐようにして記念館が建っている。
今年は現地時間8日、日米合同の追悼式典も初めて行われる。
オバマ氏は今年、広島訪問を果たした。首相の真珠湾訪問はその返礼との見方が一部にある。
だが、多数の一般市民を対象にした原爆投下と、軍事施設に対する攻撃を同列視するのは誤りだ。
菅義偉官房長官が6日の記者会見で「戦没者の慰霊のためであって謝罪のためではない」と述べたのはもっともである。
 
※決して悪い事ではない。
攻撃日は日曜日、しかも、アメリカは事前に真珠湾攻撃を察知、事前に対処していた。
そして、当日は日曜日、大日本帝国は艦船への攻撃が主目的、人的被害が数千人! これもアメリカが捏造した嘘だろう。
歴史を史実に戻す事は歴史の修正では無い。
どうしても不可解な点がある。
駐米全権野村大使は戦後、GHQの処遇に疑問が残っているが、彼はアメリカのスパイorコミンテルンだった可能性が無いのだろうか?
堂々と靖国神社に参拝しろ! これこそ正義、日本人として取る道である。
日米の真の和解は東京国際軍事裁判に於いてアメリカが捏造した嘘を糺し史実に戻す必要がある。
そして、大東亜戦争に於ける日米戦はアメリカ人の人種差別主義者と共産主義者がが仕組んだ自国の過ちを認める必要もある。
白人の本質・大東亜戦争、対アメリカ戦(シリーズ必見記事)
2016・12・3 産経ニュース (1/5ページ) 地方部編集委員 渡辺浩 (1/5ページ) 【入門・日米戦争どっちが悪い(1)】
片手に十字架、片手に鉄砲 西欧白人国家の侵略
2016・12・3 産経WEST (1/2ページ) 
【日米開戦75年】 
届かなかった特攻機 見送った戦友よ…出撃ならなかった元陸軍飛行戦隊中尉「戦争避けるには…真剣に考えるとき」 (2)
「記事抜粋」
1941(昭和16)年にわが国と米国などとの戦争が始まってから8日で75周年を迎えます。
戦争の原因は何だったのか、どちらに責任があるのか-。
前史としての西欧白人国家による侵略から、アメリカ合衆国建国、日米開戦への道、原爆投下、日本国憲法制定…の歴史を分かりやすく振り返ります。
  インカ文明を滅ぼしたスペイン人  先住民を殺し黒人奴隷を輸入  奴隷の存在を前提として書かれた聖書
中略
有名なフランスの啓蒙思想家、シャルル・モンテスキューでさえ、『法の精神』で黒人奴隷のことをこう記しています。
  「現に問題となっている連中は、足の先から頭の先まで真黒である。そして、彼らは、同情してやるのもほとんど不可能なほどぺしゃんこの鼻の持主である。極めて英明なる存在である神が、こんなにも真黒な肉体のうちに、魂を、それも善良なる魂を宿らせた、という考えに同調することはできない」「黒人が常識をもっていないことの証明は、文明化された諸国民のもとであんなに大きな重要性をもっている金よりも、ガラス製の首飾りを珍重するところに示されている。われわれがこうした連中を人間であると想定するようなことは不可能である。なぜなら、われわれが彼らを人間だと想定するようなことをすれば、人はだんだんわれわれ自身もキリスト教徒でないと思うようになってくるであろうから」=つづく

  (2)
「記事抜粋」
昭和16年12月8日、旧日本軍のハワイ真珠湾攻撃による日米開戦から75年。元陸軍中尉の男性がかつての搭乗機の模型を手に、家族にも話したことがない戦争体験を初めて語った。
大戦末期、特攻を敢行するはずだったが搭乗機が届かず、戦友の出撃を見送った。
今も無念を募らせつつ、日本を取り巻く厳しい国際環境に「戦争を避けるにはどうしたらいいか、真剣に考えるときだ」と力を込める。
男性は岡山県津山市下紺屋町の原田晴司(せいじ)さん(94)。旧制津山中(現県立津山高)を卒業後、「国のため軍隊の中心になって役に立ちたい」と18歳で軍人を志願。
16年4月、陸軍予科士官学校に入学した。
陸軍航空士官学校を経て「隼(はやぶさ)」や「疾風(はやて)」で戦闘機の操縦訓練を重ねた。
飛行第72戦隊に配属され、「疾風」を操って東京防空の一翼を担った。その後、任地のフィリピンで米グラマン機との空中戦で被弾、不時着も体験。戦局悪化著しい20年1月、戦闘機に爆弾を装着して敵艦に体当たりする特攻の任務にあたることになった。
つづく
 ※日米戦はアメリカが仕掛けた戦争であり、動機は人種差別、大和民族絶滅作戦である。
当然、アメリカが悪い。
特攻は致し方の無い事、戦争を終わらせる最後の手段(世界の史実)、戦争をしないために何をすべきか? 戦争が出来る状態に日本を戻すことである。
このままだとシナ人が日本人婦女子を猟奇的皆殺しをするだろう。(第二の通州事件)
歴史修正主義
2016・12・3 産経ニュース (1/3ページ) 【湯浅博の世界読解】
不都合な史実を書き換える「黒い神話」つぶしに走るプーチン大統領
「記事抜粋」
ロシアのプーチン政権は、ソ連時代の都合の悪い「黒い神話」を徹底的に破壊していく。
政権の理論武装は、文化大臣のウラジーミル・メジンスキー氏(46)が、もっぱら引き受けているようだ。
青山学院大学の福井義高教授によると、メジンスキー氏は『戦争』という著書によって、歴史的事実を歪曲(わいきょく)あるいは否定したうえで、「勝利で得たモノは手放さない」と宣言してみせる。
そこにあるのは、祖国ロシアに対する愛国的情念か、根強く残る救世思想なのかもしれない。
  「事実はそれ自体、大した意味を持たない…事実は概念の枠組みの中で存在するに過ぎない。すべては事実ではなく解釈から始まる。あなたが祖国を、自国民を愛するのであれば、あなたが書く歴史は常に肯定的であろう。常に!」(福井氏仮訳)
「黒い神話」には、昭和20年8月9日にソ連軍が日ソ中立条約を破って満州になだれ込んだ一件がある。
次いで、8月15日の「終戦の詔勅」が発せられた3時間後、ソ連のスターリンは北千島を占領するよう現地軍に命じていた。
ソ連軍は北方四島を9月3日までに強引に占領した。
ところが、ソ連が正史とする『第二次世界大戦史』第11巻は、これらの占領が2日前の9月1日に終了したことになっている。
2日のミズーリ艦上での日本降伏文書調印前に、作戦が完了していることを装うためである(竹前栄治著『GHQ』)。
 
※白人はシナ人、朝鮮人同様、歴史捏造と嘘つきが証明された。
戦後、日本人を奴隷にしたソ連
2016・12・3 産経ニュース 
旧ソ連抑留死亡者、新たに22人を特定
「記事内容」
厚生労働省は2日、第二次大戦後に旧ソ連に抑留され、シベリア地域で死亡した日本人計22人を新たに特定し、都道府県別の出身地とともにホームページで公表した。
これで抑留死亡者の特定はシベリア地域(モンゴル地域を含む)で3万9656人となった。
公表された22人は次の通り。(漢字の字体は厚労省発表に基づく。敬称略)
 【岩手県】橘祐治、八森通雄、長谷川荘三、佐々木富造
 【福島県】佐藤正平
 【岐阜県】伊藤大二、小川一郎、高木吉郎、田中正次
 【静岡県】戸塚喜代司、白井亀太郎 
 【愛知県】大見真治
 【滋賀県】岡田諒太郎
 【和歌山県】大江茂一
 【岡山県】出井巧
 【香川県】平田正男
 【佐賀県】執行常治、八木智之、中村平作
 【大分県】得丸謙一、野口勝
 【鹿児島県】大重行雄
素晴らしい台湾人
2016・12・1 台湾チャンネル 
【台湾CH Vol.161】台湾で台湾籍日本軍人・軍属の慰霊祭 / 来日国会議員が語る日本への期待 / 他[桜H28/12/1]

「放送内容」
台湾チャンネル第161 回は、
  ①台中・宝覚禅寺の台湾籍日本軍人・軍属三万人の慰霊碑前で、生存者ら今も慰霊祭を
  ②秋の叙勲で日台関係に貢献した三人の台湾人に旭日重光章などが。
  ③二年前に台南で再オープンした日本時代の林百貨店がアジアデザイン賞でグランプリに。
  ④台湾刑事警察局長が日本に訴える台湾の国際社会復帰の意義。
  ⑤来日した台湾国会議員の徐永明、姚文智、趙天麟三氏にインタビュー。
   日本への期待を語っていただく。
キャスター:永山英樹・謝恵芝
日米に浸透した共産勢力
2016・11・28 チャンネルアジア 
『第115回20世紀の共産主義とは何だったのか①』藤岡信勝 AJER2016.11.28(5)

「放送内容」
第115回20世紀の共産主義とは何だったのか
藤岡 信勝氏
前半
 
※注目するキーワード=ベノラ文書、コミンテルンが動かしたアメリカ(ルーズベルト政権)、大東亜戦争、日本の戦後秩序、美濃部都政(共産党都政)
大日本帝国がマレーシア(アセアン諸国)に残した輝かしい歴史
2016・11・27 チャンネルくらら 最重要動画 必見
【11月27日配信】江崎道朗の備忘録「マレーシアのルックイースト政策とは?先人に学ぶこれからの日本のあり方とは?」小野義典【チャンネルくらら】
「放送内容」
ナシ
 
※これぞ日本人の誇りである。
日本の歴史と日本の将来
2016・11・26 産経ニュース 
旧日本兵遺族、ミャンマーの激戦地で桜を植樹
「記事内容」
第二次大戦中にミャンマー中部バゴー地域で戦死した旧日本兵の遺族が25日、現地に桜の苗を植え慰霊碑を建立した。
ミャンマーの宗主国だった英国の軍などと交戦し、旧日本軍部隊の多くが亡くなった激戦地。
地元住民らと共に犠牲者の死を悼み平和を祈った。
遺族は愛媛県出身の会社役員西原賢次さん(67)。
海軍兵だった同県生まれの叔父勝幸さん=当時(20)=は1945年8月、タウニゴン村で戦死した。勝幸さんが所属した部隊は3日間の戦闘で約400人が命を落としたという。
遺骨は見つからず、代わりに石が入った木箱が勝幸さんの実家にあった。
勝幸さんの母が毎日仏壇に線香を上げる姿を幼い頃に見た西原さん。「叔父が亡くなった場所に行ってみたい」と思いを募らせ、愛媛ビルマ会などの賛同を得て植樹と慰霊碑建立を実現した。
 
※既に靖国神社にお戻りと思いますが、安らかにお休みください。
大和民族は将来、必ず素晴らしい日本を復活させます。
一昔の日露交渉
2016・11・25 産経ニュース (1/5ページ) 【北方領土 屈辱の交渉史(2)】 最重要記事 必見
樺太千島交換条約を主導したのは「太陽の沈まない国」だった…

「記事抜粋」
明治8(1875)年3月8日、ロシアの首都サンクトペテルブルク(当時)。
駐露特命全権公使を拝命した榎本武揚(たけあき)は露外務省アジア局長のピョートル・スツレモーホフと向き合った。
  榎本 「千島全島を譲るべきだ」
  スツレモーホフ 「それは大島たる幌筵(パラムシル)島までも望むのか?」
  榎本 「幌筵島のみならずカムチャツカまで連なる島々をすべて譲っていただきたい」
スツレモーホフとの協議は延々と続いたが、榎本は粘りに粘り、ついに樺太を放棄する代わりに、カムチャツカ半島まで延びる千島列島全島の譲渡を勝ち取った。
榎本がロシア側全権のアレクサンドル・ゴルチャコフと樺太千島交換条約の調印を交わしたのは5月7日だった。
旧幕府海軍の指揮官だった榎本は、箱館戦争(五稜郭の戦い)で敗北し、投獄されたが、その命を救ったのは、オランダ留学中に手に入れた「海の国際法と外交」の写本2巻だった。
明治政府は発足したばかりで外交や国際条約は門外漢ばかり。
榎本が所蔵する写本の存在を知った黒田清隆が、知人の福沢諭吉に翻訳を頼むと、福沢は一読してこう言った。
  「この万国公法は海軍にとって非常に重要だ。これを訳すことができるのは講義を直接聴いた榎本以外にない。榎本に頼めないようでは邦家のため残念だ…」
黒田は榎本の助命嘆願に駆け回り、榎本は明治政府の要人としてその後活躍する。
ロシアとの領土交渉はその大きな成果の一つだ。
                 × × ×
北海道の北東洋上に浮かぶ択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島からなる北方領土(計5千平方キロ)は、ただの一度も外国の領土になったことはない。
その先にはカムチャツカ半島まで占守(しゅむしゅ)島を最北端に千島列島が延びる。
オホーツク海と太平洋を隔てる地政学上の要衝だといえるが、なぜ明治政府が樺太と千島を交換しようと考えたのか。
安政2(1855)年2月、江戸幕府はロシアと日魯(ろ)(露)通好条約を締結。国境を択捉島と得撫(うるっぷ)島の間に引き、樺太を「日露両国民の混住の地」と決めた。
つづく
                × × ×
ロシアから見ると、広大な樺太を捨て、碁石が並んだような千島列島を欲しがる日本の姿は奇異に映ったかもしれない。
確かに当時の明治政府は脆弱(ぜいじゃく)で、樺太を統治する財政的・軍事的な余裕はなかった。
だが、それ以上に英国の入れ知恵が大きい。
  「日本の国力では樺太開発は無理だ。防衛もできない。千島列島ならば周囲が海なので防衛しやすい」「樺太をこのまま放置すれば、むしろロシアの南下は北海道に及ぶ」「ロシアが侵攻してきても千島列島ならば英海軍が援軍に送ることができる」-。
つづく
樺太千島交換条約から70年後の昭和20(1945)年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏した。
8月9日に日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵攻したソ連軍は一向に戦闘をやめず、領土拡張を続けた。
占守島への侵攻は8月18日、北方領土を占領したのは日本が米艦ミズーリ号で降伏文書を調印した9月2日以降だった。
台湾人を讃えよう
2016・11・16 ユーチューブ 
日本兵は命懸けで守る!数々の絶望の淵から日本兵を救い、助けた誇り高き高砂族に涙した日本「日本が好きだから、ただそれだけだ」日本と台湾の深い絆【日本が感動/報道されない真実】 大好き日本!【あすか】
「コメント」
日本と台湾は友好国として有名だが、その歴史と背景を今回は見て見ます。
日本を絶望と窮地から救い出した、高砂族は日本兵のことを最後まで守り抜いてくれた大切な仲間でした。
その高砂族について、今回はスポットを当ててみます。
  【著作権に関して】
   ※本動画は、下記の著作権引用元で作成しております。
万が一、違反などがございましたら、下記のアドレスまでご連絡をお願いします。
(確認次第、早急に対応、編集および削除させて頂きます)
→tamai3408@gmail.com
記事引用元
http://evnara.blog.fc2.com/blog-date-...
http://traffics.s20.xrea.com/takasago...

 ※台湾人に感謝! 何時の日か日台国交正常化がなりますように、合掌!
放射線
2016・11・14 DHCシアター 
髙山正之『変見の作りかた』#65 1ミリの愚
「放送内容」
監修・出演:髙山正之 収録:2014年7月  時間:12分30秒
 第65回「1ミリの愚」(週刊新潮 2014年3月20日号)
国際放射線防護委員会が勧告した年間線量限度は1ミリシーベルトだが、この値の根拠がいかに薄弱であるかを高山正之が解説する!
明らかになった日米戦の真実
2016・11・11 ユーチューブ 最重要動画 必見 
藤井厳喜『日米戦争を起こしたのは誰か フーバー大統領回顧録を論ず【再】』AJER2016 11 11
「コメント」
ナシ
「投稿紹介」
フランクリン・ルーズベルトが、日本に最初の一発を打たせるために全力で日本を挑発した事実は一部ではよく知られており、アメリカではテレビ放送「60 Minutes」などで報道され、書物も発行されている。 
真珠湾攻撃の数日前には日本海軍がハワイに向かっていることを、事前にアメリカ政府が掴んでいたことも分かっている。
 
※フーバー元大統領の告発(マッカーサーも同意)! 事実が明らかになった。
日本は紛争を止める役回りに徹して欲しい
2016・11・10 ユーチューブ 
【武田邦彦】例え女、子供であろうと黄色人種ならば◯◯しろ!白人の本音
「コメント」
ナシ
「投稿紹介」
たしかにサミットに日本が入るのはおかしいという考えもあるが、武田先生のおっしゃる通り中国がサミットに加われば、アジアは完全に白人に毒されてしまう。
中国はかつて日本と違い、アジア全般ではなく中華思想のみで白人側にたったアジアの裏切り者です。
白人だけの差別のサミットに日本が入ることで辛うじて防波堤になっているんじゃないかと思う。
 
※大東亜戦争の日米戦は人種差別が引き起こした戦争。
日本は戦後、戦争をしない国になったが降りかかる火の粉は振り払わねばならないが、唯一日本が紛争を止められる経済大国、何故、日本政府は紛争を止める活動をしないのだろうか? 黒人に銃口を向けるために自衛隊を派兵、嘘つき安倍総理も口先だけの稲田も馬鹿である。
在日と韓国、反日左翼に乗っ取られた映画界
2016・11・9 産経WEST (1/4ページ)  戸津井康之 【銀幕裏の声】
特攻機護衛の任務、「腕で護れなかったら身をもって守れ」-神雷部隊・元零戦パイロットの証言(上)

「記事抜粋」
  「零戦の操縦士が上空で風防を開けることなどないですよ」。
航空映画で演出上、こんなシーンが描かれることは少なくないが、元零戦パイロットの野口剛さん(91)は苦笑しながらこう否定した。
今から72年前の昭和19年11月、「海軍神雷部隊」が正式に発足した。
特攻のために開発された航空機「桜花」と同機を搭載して運ぶ一式陸上攻撃機、これを掩護する零戦で編成された部隊。
特攻隊である。
野口さんは神雷部隊に所属。
翌20年3月21日、初の特攻「第一回神雷桜花特別攻撃隊」の一員として零戦で出撃した。
ほとんどの桜花は敵艦隊に近づく前に、一式陸上攻撃機とともに撃墜されていったという。
だが、その後、幾度も桜花の掩護で出撃した野口さんはこう断言した。
「一機の桜花が軍艦に体当たりし、黒煙が噴き上がる様子を確かに目撃した」と。
  憧れの零戦パイロットへ  二度と戻ってはこれない-それでも特攻隊「神雷部隊」に志願
  突然の出撃命令 数時間後には離陸  
中略
同日正午前、「神雷部隊」は出撃開始。
鹿屋基地を離陸し上空で編隊を組んだ一式陸上攻撃機の編隊を、野口さんたちが乗る零戦が護衛しながら目的地を目指した。一式陸上攻撃機の下には桜花が搭載されていた。   =つづく
 
※在日と韓国、反日左翼は嘘が常套手段である。
何時の日か、日本人の魂が籠った日本映画を観られるだろうか?
日本とイランと真珠湾
2016・11・8 DHCシアター 
髙山正之『変見の作りかた』#64 強い日本が好き
「コメント」
監修・出演:髙山正之
収録:2015年12月
時間:13分00秒
第64回「強い日本が好き」(週刊新潮 2015年7月23日号)
鳥越俊太郎は衆院特別委員会で、イランでは「日本は平和を築いた国として尊敬されていた」と答えていたがそれは嘘で、大方のイラン人は日本が負けたことも知らない。
高山正之がテヘラン特派員だった80年代、イラクとの戦争中に彼らは日本のハチマキのように「神は偉大なり」と書かれた布を額に巻いていた。
強い日本にあやかっているのだという。
 
※日本は決してアフリカと中近東、アジアで砲弾を使ってはならないが、シナと朝鮮半島が日本に向け攻撃してくらば致し方が無い。
映画『終戦のエンペラー』・醜い歴史捏造映画
2016・11・1 DHCシアター 
髙山正之『変見の作りかた』#63 剝げてきた
「放送内容」
監修・出演:髙山正之
収録:2013年11月
時間:11分30秒
第63回「剝げてきた」(週刊新潮 2013年9月26日号)
映画『終戦のエンペラー』や漫画『はだしのゲン』には残忍な日本軍の描写が出てくるが、あれは全くの嘘である。
本当に残虐な行為をなしたのは、どの民族なのか。
旧約聖書のモーゼの記述から髙山正之が読み解く。
 
※アメリカはシナや韓国同様、大嘘つき国家である。
国民に隠し騙し続けていた日本政府
2016・11・1 産経ニュース 共同
キューバ収容名簿見つかる 戦時中、日系人350人分 当時の親米政権下で
「記事内容」
第2次大戦中のキューバで、当時の親米政権の方針により強制収容所に入れられていた日系人約350人の日本語の名簿が現存していることが30日までに分かった。
収容日や出身県も書かれており、キューバの日系人収容の実態を伝える貴重な資料だ。
日系2世でハバナの日系人連絡会会長フランシスコ・ミヤサカさん(78)=日本商社勤務=が10月にキューバを訪問した共同通信加盟社論説研究会に名簿コピーを提供。
名簿は父宮坂寛司さん(長野県出身、故人)の遺品から見つかった。
作成したのは自身も収容された広島県出身の日系1世、故内藤五郎さんで、1980年代に全土に散っていた元収容者約100人を訪ね歩き、手書きの名簿を作った。
共に移民史を取材していた記録作家、倉部きよたかさん(東京都在住)が整理してワープロで清書した。
収容者の出身県別でみると最も多いのが熊本県で59人、次いで沖縄県の56人、広島県42人。
 
※アメリカの人種差別が生んだ日本人の不幸である。
大東亜戦争もだが・・・キューバも今迄、隠し続けていたのだろうが、キューバ政府が日本人に対し、どんな仕打ちをしたのか、戦後どうなったのか、調べて欲しいものだ。
キューバは親日と思っていたが、大きな誤解の様である。
大日本帝国を裏切った蒋介石
2016・10・29 産経新聞 ロンドン 岡部伸
中国の沖縄領有権主張 蒋介石したたか二枚舌 戦況見て変心
「記事内容」
第二次大戦末期に中国国民党の蒋介石政権が尖閣諸島を含む琉球群島(沖縄)の領有権を主張していたことが英国の最高機密文書「ウルトラ」から判明。
その前段として、大戦中の1943年11月のカイロ会談での中華民国国民政府主席の蒋介石と米大統領、ルーズベルトの密談がある。その際、蒋介石は日本の沖縄領有を認めていたが、戦況の変化で翻意。
対外宣伝機関を通じて中国の領有権主張を試みたとみられる。 
中国メディアなどによると、密談でルーズベルトは蒋介石に「日本を敗戦に追いやった後、琉球群島を全て中国にあげようと思うが、どう思うか」と何度も聞いたが、蒋介石は断ったとされる。
尖閣諸島は1895年に沖縄県に編入されており、「琉球群島」に含まれる。
密談後、蒋介石は領有を断ったことを後悔し、同席した部下に「絶対に口外するな」と口止めしたという。
蒋介石は当時、延安の中国共産党打倒を優先して対日戦を回避していたため、沖縄領有で、日本と新たな摩擦を起こしたくなかったとみられる。
しかし、米軍の沖縄作戦開始で日本の敗戦が濃厚となった1945年3月末、対外宣伝機関紙「時事新報」を通じて「明時代から中国に領有権がある」と主張し、連合国側の反応をうかがった。
終戦後、状況が変われば「民意」を受けて正式に領有を主張しようという思惑もうかがえる。
戦後の46年2月、ヤルタ密約が公表された直後の駐重慶英国大使が外務省に送った公文書では、「時事新報」が、「ソ連が帝政ロシア時代に戻って領土要求するなら、中国は満州(清)時代に立ち戻ってビルマ、インドシナ、琉球群島、樺太まで要求する」と主張しており、中国が混乱に乗じてカイロ宣言などを空文化して琉球を取ろうと狙っていたことは明らかだ。
しかし仏大使が、対外宣伝を担った「時事新報」を「不適切な集団」と評して報告し、この電報を傍受した英国も最高機密文書「ウルトラ」にして英首相のチャーチルに報告していることから、英仏両国は、カイロ宣言を無視した蒋介石の沖縄領有権主張を批判的に受け止めていたようだ。
一方、ルーズベルトは、ソ連首相のスターリンには千島列島の領有を持ちかけ、ヤルタ会談の密約を経て、ポツダム宣言受諾後にソ連が侵攻、不法占拠し、現在も未解決の北方領土問題となっている。
日支領土問題
2016・10・29 産経ニュース ロンドン=岡部伸 (1/3ページ) 【歴史戦】
中国が沖縄の領有権主張 沖縄開戦直後 カイロ宣言ほご 混乱乗じ 英機密文書「ウルトラ」で判明

「記事抜粋」
第二次大戦で米軍が沖縄戦を開始した直後の1945年3月、中国国民党の蒋介石政権が対外宣伝機関を通じて、明時代に遡って尖閣諸島を含む琉球群島(沖縄)の領有権を主張していたことが28日、英国立公文書館所蔵の最高機密文書「ウルトラ」で明らかになった。
カイロ宣言(43年)で琉球群島の領有権が日本にあることを認めながら、一転して日本が不法に占拠した領土で放棄すべきだと訴えたとしている。
駐重慶のフランス大使が本国パリの外務省に送った「中国が琉球群島の領有を主張」と題する電報を英ブレッチリー・パーク(政府暗号学校)が傍受、解読し「ウルトラ」にまとめた。
それによると、仏大使は、沖縄戦開始に関して、国民政府財政部の機関紙である「時事新報」が「(琉球)群島の歴史を顧みて、明時代から19世紀末(日清戦争)まで中国に属していた」と明言していると報告。
つづく
                ◇
  「ウルトラ」の全文
  「中国が琉球群島(沖縄)の領有権を主張 駐重慶フランス大使報告」
駐重慶フランス大使から パリ外務省あて
  1945年3月30日
最近(3月26日、米軍が慶良間諸島に上陸開始)、米軍が開始した琉球群島(沖縄)戦を論評して不適切なグループの「Shih Shih-Singpao」(中国名『時事新報』)が、(琉球)群島の歴史を顧みて、明時代から19世紀末(日清戦争)まで中国に属していたと明言している。
つづく
  【カイロ宣言】
米英ソ3巨頭が初めて会談したテヘラン会談に先がけて1943年11月下旬にカイロでルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石・中華民国国民政府主席が数日間会談し、12月1日に発表された連合国の対日基本方針。
第一次大戦開始以降日本が奪取、占領した太平洋の全ての島は取り上げられ、満州・台湾・澎湖諸島の中国への返還、朝鮮の独立、日本に無条件降伏を要求することなどが定められた。

「記事内容」
第二次大戦末期に中国国民党の蒋介石政権が尖閣諸島を含む琉球群島(沖縄)の領有権を主張していたことが英国の最高機密文書「ウルトラ」から判明。
その前段として、大戦中の1943年11月のカイロ会談での中華民国国民政府主席の蒋介石と米大統領、ルーズベルトの密談がある。その際、蒋介石は日本の沖縄領有を認めていたが、戦況の変化で翻意。
対外宣伝機関を通じて中国の領有権主張を試みたとみられる。 
中国メディアなどによると、密談でルーズベルトは蒋介石に「日本を敗戦に追いやった後、琉球群島を全て中国にあげようと思うが、どう思うか」と何度も聞いたが、蒋介石は断ったとされる。
尖閣諸島は1895年に沖縄県に編入されており、「琉球群島」に含まれる。
密談後、蒋介石は領有を断ったことを後悔し、同席した部下に「絶対に口外するな」と口止めしたという。
蒋介石は当時、延安の中国共産党打倒を優先して対日戦を回避していたため、沖縄領有で、日本と新たな摩擦を起こしたくなかったとみられる。
しかし、米軍の沖縄作戦開始で日本の敗戦が濃厚となった1945年3月末、対外宣伝機関紙「時事新報」を通じて「明時代から中国に領有権がある」と主張し、連合国側の反応をうかがった。
終戦後、状況が変われば「民意」を受けて正式に領有を主張しようという思惑もうかがえる。
戦後の46年2月、ヤルタ密約が公表された直後の駐重慶英国大使が外務省に送った公文書では、「時事新報」が、「ソ連が帝政ロシア時代に戻って領土要求するなら、中国は満州(清)時代に立ち戻ってビルマ、インドシナ、琉球群島、樺太まで要求する」と主張しており、中国が混乱に乗じてカイロ宣言などを空文化して琉球を取ろうと狙っていたことは明らかだ。
しかし仏大使が、対外宣伝を担った「時事新報」を「不適切な集団」と評して報告し、この電報を傍受した英国も最高機密文書「ウルトラ」にして英首相のチャーチルに報告していることから、英仏両国は、カイロ宣言を無視した蒋介石の沖縄領有権主張を批判的に受け止めていたようだ。
一方、ルーズベルトは、ソ連首相のスターリンには千島列島の領有を持ちかけ、ヤルタ会談の密約を経て、ポツダム宣言受諾後にソ連が侵攻、不法占拠し、現在も未解決の北方領土問題となっている。
 ※戦後から続くシナ共産党の日本共産化計画の一端だろう。
美輪明宏・史実を知らない嘘つき、英霊が泣いている
2016・10・28 ユーチューブ 
美輪明宏が”日本の右傾化”に警鐘を鳴らすも「胡散臭い」と総ツッコミを浴びるwwもちろん中国の暴虐には知らんぷり
「コメント」
ナシ
「投稿紹介」
このアヤシイ人、美輪明宏、日本がどういった理由で戦争に巻き込まれたのかを全く知らないようです、知らないふりしているのかな。
欧米列強が有色人種国家を次から次に植民地にしていいったのと同時に、エネルギーを絶たれる罠を仕掛けられ、日本はやむに已まれず立ち上がったのです。
日本は好んで戦争したわけではない。
それと、アメリカがバズーカ砲や原爆で、日本は竹やり??戦中派にしては無知すぎる。
日本の軍備が竹やりとは無知も甚だしい。
今まで何を学んできたの?この人。
 
※よく平気で嘘を言えたものだ! 日本で言う事ではない。
アメリカとシナに言え! ペリュリュー島で何が起きたか? 大日本帝国軍が何をしたか? ペリュリュー国が何故、親日国なのか? 調べて言え! 情けない!
参考動画
映画『追憶』予告編
勇猛果敢で大日本帝国に忠誠を尽くした同胞・高砂族
2016・10・28 ユーチューブ 
誇り高き高砂族に涙した日本「彼の前でこの握り飯は食べられない…」日本と台湾の絆

「コメント」
ンシ
 
※靖国に眠る英霊(大日本帝国軍・高砂義勇軍)に心より感謝しています。
日露戦、占守島の戦い
2016・10・25 DHCシアター 
髙山正之『変見の作りかた』 #62 6度目の海戦
「放送内容」
監修・出演:髙山正之 収録:2013年11月  時間:12分45秒
第62回「6度目の海戦」(週刊新潮 2013年9月19日号)
1945年8月の日本降伏後、
ソ連が占守島に侵攻してきた。
戦闘は日本軍優勢に推移するものの、軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立。
ソ連はさらに侵攻していくが歯舞・色丹より先の北海道には入ることができなかった…
日本を裏切ったシナ
2016・10・20 ユーチューブ 
武田邦彦 白人小判鮫某国には国という概念無く略奪侵略こそ正義となっている!
「コメント」
ナシ

 ※シナ人だけがアジア人(有色人種)と戦った情けない種族である。
シナ人は何故、白人と戦わないのか?
2016・10・17 DHCシアター 最重要動画 必見  1:20過ぎから

「放送内容」
ナシ
 
※興味深い! 蒋介石が日本を裏切った理由、シナ人は何故、アジア人とだけ戦うのか? シナは個人集団、国の概念が無いから シナ人はグローバリストであり、アメリカ人と同じ思想であろう。
日本人はシナ人とアメリカ人に要注意である。
満州鉄道・あじあ号
2016・10・16 産経ニュース (1/3ページ) 【満州文化物語(34)】
特急「あじあ」を牽引したパシナ型機関車は日本に戻らなかった…中国側が「返還」に応じず
「記事抜粋」
教科書の「あじあ」
満鉄映画製作所が製作した記録映画集に、満州の大地を颯爽と走る特急「あじあ」の映像が残っている。
線路以外何も見えない荒涼たる景色をバックに、黒い煙をモクモクと吐いて疾走する剛力ぶりと、流線形のしなやかなフォルムのコントラストが面白い。
「あじあ」ほど、多くのメディアやグッズに取り上げられた列車もなかろう。
映画、絵はがき、切手、カルタ、紀行文や教科書にも登場し、その存在は、満鉄のみならず、満州全体の象徴となってゆく。
  《りうせんがた、まっ白な せん…日本人の 手で…りっぱに できあがった 早い、早い、とく急「あじあ」》
これは昭和17年、満州の子供たちの教科書に掲載された文章だ。
呼び物の全車冷暖房完備を取り上げた記述もある。
  《夏も すずしく、町から 町へ 走る、走る、とく急「あじあ」》
この単元の教師用指導読本も残っている。
  《特急「あじあ」はマンシウ一の「マンシウノノリモノ」の高度な代表である。「あじあ」に乗つた児童も、まだ乗つてゐない児童もあらうが、これに寄せる親愛憧憬は強い。この児童の感情に根ざして「あじあ」の容姿や装備や性能を知らせ…》(傍点筆者)
「あじあ」の人気ぶりを彷彿させる文章だが、同時に教師に向けた「あじあ」や牽引するパシナ型機関車についての詳しい解説も載っている。
おそらく教師にも「あじあ」に乗った人が少なかったからだろう。
つづく
 
※アジア号はシナに三両残存しているという。
日本に一両と思うのは・・・シナ人はやはり恩知らずのゲスである。
シナに毎年300億円以上の経済支援をしているの日本だが即、中止しろ! 河野洋平が関わった砲弾処理はどうなったのか?

本音で語れ!
2016・10・15 産経ニュース 
広島の通訳女性が米国で被爆証言 「水あげた人、目の前で亡くなった」 英語で大学生に語る

「記事抜粋」
広島市の英語通訳で被爆者の小倉桂子さん(79)が13、14の両日、「平和のために世界の人々と体験を共有したい」と、米カリフォルニア州のポモナ大学で英語による証言をした。
大学の敷地では14日、広島市で被爆したイチョウの苗木の植樹も行った。
小倉さんは8歳の時に広島市の爆心地から約2・4キロの自宅近くで被爆した。
13日は約80人の学生らを前に、自宅近くの神社に逃れてきた被爆者に水を与えたところ目の前で亡くなり、長年、罪悪感にさいなまれたと体験を語った。
小倉さんは広島の原爆資料館の元館長だった夫の馨さんを1979年に亡くし、遺志を継いで英語で被爆体験などを語る活動を続けてきた。
米国での証言は今回が初めて。
学生からの「日本の人々は広島と長崎への原爆投下をどう捉えているのか」との質問に、小倉さんは「戦争が二度と起きてはいけない」との共通した思いが日本人にはあると説明した。
 
※日本人の多くはアメリカの原爆投下を戦争犯罪と認識しているのだが・・・ アメリカは戦勝国だが、己の戦争犯罪を隠す目的で開いたのが東京国際軍事裁判、嘘で塗り固めた人道に対する罪、大東亜戦争はアメリカの謀略から始まり、日本人が大虐殺され終焉したが、人道に対する罪はアメリカこそ負うべき罪である。
この事実、既に明らかである。
大東亜戦争・民間総括
2016・10・11 ユーチューブ 最重要動画 必見
【虎ノ門ニュース・スペシャル】青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』前編
【虎ノ門ニュース・スペシャル】青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』後編
「コメント」
  特攻とは・・・!  ゼロ戦とは・・・!  真珠湾とは・・・!
  現地ロケを敢行!
さらに本邦初!
青山繁晴×百田尚樹の対談が実現しました。
どうぞお見逃しなく!
 
※視聴者に一言、青山繁晴氏は愛国者だが(英語の多用が・・・自己PRが過ぎる ※私の偏見かな?)、百田尚樹氏は愛国者、両者を理解した上で、動画をご覧あれ!
精鋭部隊「第343海軍航空隊(通称「剣部隊」)
2016・10・11 産経ニュース 
撃墜王と海軍エースパイロット激白「日本の空を守るという気持ちしかなかった」…大東亜戦争を語り継ぐ会で井上和彦氏とトークライブ
「記事内容」
本紙「正論」欄執筆メンバーで軍事ジャーナリストの井上和彦氏と、元海軍パイロット2人によるトークライブ「大東亜戦争を語り継ぐ会」(主催・産経新聞月刊「正論」、協賛・大阪冶金興業)が10日、大阪市北区の大阪市中央公会堂で開かれた。
出演したのは、終戦直前の昭和19年に本土防空戦の切り札として編成された精鋭部隊「第343海軍航空隊(通称「剣部隊」)のパイロット、本田稔氏と笠井智一氏
井上氏は「命をかけて母国を守った2人の証言を、ぜひとも胸に納めてください」と訴えた。
ラバウル航空隊などに所属し、最前線で米軍機と闘った“撃墜王”こと本田氏は、今の日本について「自信をもって自分の主張をはっきりと出してもらいたい」と話した。
また、特攻隊の直掩任務(=敵の攻撃から特攻機を守る任務)で同期の最後の勇姿を見届けてきた“エースパイロット”こと笠井氏は、「同期も私も、日本の空を守るという気持ちしかなかった」と話した。
日本人が必ず知るべきシナ人の猟奇的大虐殺・通州事件
2016・10・6 DHCシアター 重要動画 必見
「コメント」
  ■テーマ:
 通州事件~中国人の残虐性を知れ~
ゲスト:
 藤岡信勝(拓殖大学客員教授・「新しい歴史教科書をつくる会」副会長・「通州事件アーカイブ設立基金」代表)
 通州事件アーカイブズ設立基金 
http://tsushu.sakura.ne.jp/

 『通州事件 目撃者の証言』藤岡信勝(自由社) 
https://www.amazon.co.jp/dp/4915237931/

 阿羅健一(近現代史研究家)
 VTRゲスト:加藤康男(ノンフィクション作家) 『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』(飛鳥新社)著者
10/6発売→
https://www.amazon.co.jp/dp/4864105146/

レギュラー:
 堤 堯(ジャーナリスト・元文藝春秋編集長) 志方俊之(軍事アナリスト) 福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者)
馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授) 日下公人(評論家・日本財団特別顧問) 塩見和子(日本音楽財団会長)
アシスタント:高松香織(DHCシアター)

 
※シナ人による日本人虐殺の歴史
 1920 尼港事件
 1928 済州事件
 1937 通州事件
 1937 大山事件 
 1946 通化事件 (戦後・引き揚げ時)
所詮、DHCシアターも銭儲けと権威主義なのだろうが、通州事件をネットに拡散したのは水間政憲氏、何故、水間政憲氏を招かなかったのか? その理由を知りたい。

台湾で神になり靖国に眠る日本人
2016・9・22 産経ニュース 台南=田中靖人
台湾で神になった日本兵 夢のお告げで“里帰り”

「記事内容」
先の大戦末期に台湾南部の台南市で戦死し、現地で神として祭られている杉浦茂峰海軍兵曹長の神像が、杉浦氏の出身地、水戸市に“里帰り”することになり21日、台湾を出発した。
戦死により少尉に特進した杉浦氏を祭る「鎮安堂飛虎将軍廟(びょう)」の縁起などによると、杉浦氏は20歳だった1944(昭和19)年10月、来襲した米軍機を零戦で迎撃中に被弾。
集落への墜落を避けようと機体を郊外に誘導したため脱出が遅れ、落下傘で降下中に機銃掃射を受け戦死した。
戦後、地元の人々が集落を守るために命を落とした杉浦氏を悼み、落下地点に71年に廟を建設。
「飛虎将軍」と呼び、朝夕に「君が代」と「海ゆかば」の演奏を流し弔っている。
“里帰り”の計画は今年春、廟を訪れた日本人作家の夢枕で、杉浦氏が「水戸に帰りたい」と話したことから始まった。
廟が所属する寺院「海尾朝皇宮」の管理委員会が占いで主神の「意志」を確認したところ、その通りだとの結果が出たという。
杉浦氏の神像は、軍刀を持って座った姿の高さ30センチ程度の木像。
21日朝、祭壇からケースに移され、関係者約30人とともに南部・高雄空港から成田空港に向かった。
主神が廟の外に出るのは初めてで、中華航空は神像のために座席の手配に応じた。
同日中に水戸市に到着、22日に護国神社で慰霊祭が行われる。
神像は再び台湾に戻るが、分祀(ぶんし)の計画もあるという。
管理委員会の呉進池主任委員(60)は21日朝、「いつも厳粛な表情の飛虎将軍が、今日はほほ笑んでいるようだ」と話した。
 
※台湾で神になったり記念碑が建立され今尚、多くの日本人が台湾人の記憶に留めら尊敬を集めている。
台湾国民の皆さん、ありがとう。
アメリカの正体
2016・9・20 DHCシアター
髙山正之『変見の作りかた』#58 嵌り役日本

「放送内容」
監修・出演:髙山正之
収録:2015年11月
時間:14分
第58回「嵌り役日本」(週刊新潮 2015年7月2日号)
原爆による日本人大虐殺は米国の恥どころか、大いなる誇りに変えてしまった。
戦後70年。
日本はどう先を読みどう手を打っていくのか…
 
※面白い! これが日本人! 
馬鹿な嘘つきアメリカ人の餌食になる嘘つき安倍総理始め日本政府と害務省の愚かな姿が語られている。
何時まで騙され続けるのか? 日本人!
大東亜戦争・誇れよ日本人!
2016・9・19 ユーチューブ 重要動画 
海外の反応 『日本へ世界からの再評価、マスコミは自分達に不都合な真実は伝えない』戦後、アジア、欧米の指導者が語った日本との戦争の真実に海外が衝撃受ける
「コメント」
ナシ 
 
※日本人が必ず観る必要がある動画である。
高麗帽子・チンケな朝鮮人
2016・9・13 DHCシアター 
髙山正之『変見の作りかた』#57 高麗棒子 
「放送内容」
監修・出演:髙山正之
収録:2015年11月
時間:13分45秒
第57回「高麗棒子」(週刊新潮 2015年6月25日号)
満州国等で、事実上の支配国であった日本の威を借りて
横暴な態度を取っていた朝鮮人警察官を、現地の中国人達は
警官の携帯する武器の棒より「高麗棒子」と蔑称していた…
 
※酷い朝鮮人の姿が語られている。
これが浅ましい白人! 戦後の日本人兵士が奴隷扱いされた悲惨な状況が語られている。
台湾系日本人の大東亜戦争
2016・9・5 ユーチューブ 重要動画 必見
2016.09.04【台灣演義】籍日本兵 | Taiwan History
「コメント」
九三軍人節 是紀念中日戰爭
台籍日本兵 卻被歷史遺忘!
20多萬台灣兵
數萬人戰死 多少人生死不明?
打過美軍 打過共匪 打過朝鮮
看台籍日本兵的戰爭血淚
 
※祖国日本の為に一命を捧げた台湾系日本人、日本人が台湾人と共有すべき歴史である。
台湾人に感謝!
積誰か日本語字幕を付けてくれませんか?
2016・12 嘘つき安倍総理の日露外交の結果が出る
2016・9・4 スタジオ日本・日曜討論 
スタジオ日本 日曜討論 平成28年09月04日「平成の国体構築こそが、日本を救う」

「放送内容」
日本再発見・本編第106弾 全6回(平成28年7月31日~9月4日放送)
  [趣旨]
皆さん、来年は、何の年か知っていますか?平成29年は、西暦では2017年ですが、100年前におこった大事件を思い出して下さい。
大正6年、1917年、時は欧州大戦の真直中で、当時の常識を覆す大事件が起こりました。
それまでは、イメージの世界でしか語られなかった「平等社会」、いわゆる共産主義の社会が、現実に権力実体(国家)として登場したのです。
これが後年いわれる「ロシア革命」です。
当時のインテリと称される人達は、この衝撃を幸いなこととして好意的に受け止めました。
何よりも米国がことのほか、いわゆる「革命」の成就に情熱をかけました。これはジョン・リードの著作にもあるように熱狂的とすら言えるものでした。
しかし、世界の大部分が好感をもって受け止めた訳ではありません。
そもそも、こうした暴力革命という手段で政権を奪取し、反対する人を国内外問わず抹殺していくような政府が近世の社会に一体あったでしょうか? 未開の地ならともかく、近代ヨーロッパの一角にかくなる方法で建国された国ほど、多くの人に不安を与えたものはありませんでした。
歴史が証明しているように、いわゆる「労働者の祖国」は、僅か79年で自壊しました。
これを冷戦を戦った自由主義陣営の勝利と見なす人もいますが、実際は、反「民主」、反「自由」、反「人権」をうたい文句にした独裁国家、人工国家が辿った避けがたい末路だったのです。
建国以来2676年の悠久の歴史を持つわが国は、太古の昔から、民主、自由、人権が公にされ、和を以て貴しとなす国民国家です。
こうして考えると、人工的な理屈と虚偽と詐術にまみれたプロパガンダによってしか求心力を持ちえない擬制国家ほど、わが国の歴史、伝統、文化とほど遠いものはありません。
来年のロシア革命100年を祝う人は皆無に近いと思います。
歴史はここに正気を取り戻したのです。
しかし、再び変種がうぶ声をあげないように、ロシア革命に続く諸般の事例の矛盾点をあげながら、このシリーズを放送させていただきます。
神風特別攻撃隊
2016・9・12 産経ニュース 原川貴郎 【外交官が見たニッポン】
サンマリノ共和国のカデロ大使はこう断じた…「カミカゼはテロリストではない」「日本人のユニークさの根源は神道だ」 
「記事抜粋」
イタリア半島中東部に位置するサンマリノ共和国に、欧州初の神社が建立された-。
この夏、遅まきながらこんな情報を耳にした。
神社の建立に尽力した一人が、同国のマンリオ・カデロ駐日大使だ。
駐日大使全体の代表である「駐日外交団長」でもあるカデロ大使に、神社建立の経緯や外国人からみた日本の魅力や改善点などを聞いた。
話題は、神道から日本・日本人論、神風特別攻撃隊にも及んだ。
  --2020年には東京オリンピック・パラリンピックがあります。
まずは、長年、日本に住んでおられるカデロ大使からみて、日本はこんなところをもっと改善すべきだという点があれば教えてください
  「東京でのオリンピックの開催は非常に素晴らしいことです。日本は非常に進んでいて、安定している国なので、いろんな面で素晴らしく大会を組織されると思います。ですが、ご存じのようにオリンピックの期間はだいたい2週間。オリンピック、オリンピックとちょっと大げさ過ぎる気がします。世界中の人と友好やビジネス、いろんなことが生まれるかもしれないけれど、日本が国際的にもっとデベロップするには、オリンピックよりも、もっと大切なことが山ほどあります」
中略
  「もっと豊かに、もっとフレンドリーに、本当の日本のおもてなし見せるべき。オリンピックに、力入れるのは、仕方ないけど、もっと大事なことが山ほどあるんですよ。イタリアの年間の観光客が5000万人以上、日本は2000万人ぐらい。非常に少ないです」
 
※日本は観光立国になれば、国が大きく変わり、やがて衰退の一途を辿る。
政府の政策はおお間違いである。
イタリアは日独伊三国同盟を裏切った国。
イタリアはファッション先進国だが他に何も無い。
国民の大体が怠け者、観光で生きるしか道は無かろう。
大日本帝国こそ正義
2016・9 大好き日本!【あすか】
日本人がマレーシアを救い、国を創った・・・150年の苦しみを一瞬で解放し、アジアに自信と希望を与えた日本軍がマジで凄かった 大好き日本!【あすか】
「コメント」
ナシ
「投稿紹介」
歴史は残酷なもの。
戦勝国の正義のみ伝えられ、敗戦国が行った正義は闇に葬られる。
戦前までアジアはほとんど西欧諸国の植民地だった。
日本軍は西欧に取っては侵略軍。
しかし、アジアの人達にとっては植民地支配から救ってくれた解放軍。
アジアの人達は知っているのに日本人のほとんどが知らない。悲しいことです。
 
※投稿者にお願い、戦勝国・アメリカに正義は無く世界最大の嘘つき国家である事を肝に銘じて欲しい。
残す目的を明確に示せ!
2016・9・4 千葉日報オンライン
ロケット戦闘機「秋水」燃料庫 柏の団体が保存要望 下旬に撤去予定

「記事抜粋」
千葉県柏市の旧陸軍柏飛行場近くに残るロケット戦闘機「秋水(しゅうすい)」の燃料庫が、土地整備により撤去の危機に立たされている。
五つあるうちの一つが先月下旬に取り壊され、もう一つも今月下旬に撤去予定。
市民団体の柏歴史クラブ(代表・上山和雄国学院大教授)が週明けにも、移設保存などを求めて県と市長に要望する。
秋水は戦時中、旧陸軍などが開発を進めていたが試作機で終わったロケット戦闘機。
燃料には劇薬の過酸化水素が使われた。
同団体の調査によると、保存を求める予定の燃料庫は下水道などに使われる導水管の一種「ヒューム管」製で、近くにあった旧陸軍柏飛行場が設置したものと考えられる。
同団体が2010年4月、燃料庫の1~5号基を発見した。
1~4号基はつくばエクスプレス「柏の葉キャンパス駅」西側、市が現在「柏北部1号近隣公園」として整備中の土地にあり、道路造成地に重なっていた4号基を8月29日に撤去した。
1~3号基は土に埋まった状態で保存されている。
つづく

 ※大東亜戦争の遺構として残す目的は何か? 大日本帝国の技術水準の高さを立証するのであれば由、敗戦史観を煽る道具に使うなら必要ない。
A・B・C級戦犯問題の起源
2016・9・3 チャンネルくらら 重要動画 必見 
【9月3日配信】短期集中特別番組 中学生に答える東京裁判の話 第3回・最終回「日本人は勝者の戦犯処罰を歓迎した?」 江崎道朗 倉山満【チャンネルくらら】

「放送内容」
なし
「投稿紹介」
江崎先生の「アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄」(祥伝社新書)購読させていただきました。
共産主義陣営のアメリカ国内の細部まで入り込む「そこまでやるか?」というやり方にに非常に暗い気持ちになりましたが、中でもp124のフーヴァーFBI長官の分類の中に出てくる「デュープス」(間抜け)が心に突き刺さりました。
結局、共産主義というのはプロの詐欺師の超強力版なのだと思います。
人々の善意や義務感やあるいは名誉心や欲などを利用して騙すのがプロの詐欺師なのですが(恥ずかしながら私もしょうもない詐欺にひっかかったことがあるのでよーっくわかりますw)日本にもたくさんいる「デュープス」たちが世界の半分を闇にしてしまった役割は大きかったのだと思います。
横田喜三郎、宮澤俊義、丸山真男なんていう連中は自分たちでは「機会主義者」のつもりだったのかもしれませんが結局自分たちの名誉心や権力欲を利用された「デュープス」だったのだと思います。
間抜けだったからといって彼らの罪が減じるわけではりませんが。
長々と駄文失礼いたしました。短期集中講座ありがとうございました。
 
※今も残るABC級戦犯は戦後の敗戦利得者が原因だが、戦犯の汚名を晴らす行動を諦めた戦後の日本人にも原因がある。
日本・満洲・(旧ロシア)ソ連
2016・8・31 チャンネル桜 重要動画 必見 
GHQ焚書図書開封 第115回
「放送内容」
「GHQ焚書図書開封」は、過去放映分を隔週水曜日に公開していきます。
占領下、大東亜戦争を戦った日本人の物語を断ち切るかの様に、7千冊以上の戦前・戦中の書物がGHQによって没収された。
理不尽な"焚書"に遭ったそれらの図書を"開封"し、当時の日本の実相を読み解いていきます。
 第115回:ロシアと満洲
出演:西尾幹二  平成24年11月28日 放送
 
※昭和6年・満洲国(大日本帝国)に対し、シナがアメリカに擦り寄り対日を画策、満鉄の実態が今の日本企業の姿と日本政府に共通性を見出している。
愛国が何故悪い・国が好きなら好きと言え!
2016・8・28 産経WEST 
ケント・ギルバート氏「日本では『愛国心を表現してはいけない』と異常な影響今も」…大阪で第11回「大東亜戦争を語り継ぐ会」
「記事内容」
本紙「正論」欄執筆メンバーで軍事ジャーナリストの井上和彦氏と、米国弁護士でタレントのケント・ギルバート氏によるトークライブ「大東亜戦争を語り継ぐ会」(主催・産経新聞月刊「正論」、協賛・大阪冶金興業)が28日、大阪市北区の大阪市中央公会堂で開かれた。
井上氏は歴史教科書などで「沖縄戦の集団自決に軍命令があった」とされていることについて、元軍関係者や住民の否定証言を紹介しながら「歪(いびつ)な歴史が作られて信じ続けられている。真実をしっかり見つめてほしい」と訴えた。
ギルバート氏は東京裁判を「手続きも罪状もまったくおかしい茶番劇」とし、占領軍による戦争への罪悪感を植え付けるプロパガンダ戦略「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」について、「日本では『他国に謝罪すべき』『愛国心を表現してはいけない』など異常な影響が今も続いている。自覚して対応していかなければならない」と話した。
 
※日本国、政府(政治家・官僚)はダメだが、反日以外の国民は世界で一番素晴らしい! 日本人(大和民族)はもっと自信と誇りを・・・世界で最も優れた民族が天皇陛下を頂点に頂く大和民族である。
濡れ衣・マニラ10万人大虐殺
2016・8・27 ユーチューブ 
海外・感動「日本の偉人が救ってくれた」 フィリピンで英雄となった日本兵の物語に世界が感動
「コメント」
ナシ
 
※こんな皇軍がマニラで民間人10万人もの虐殺をしただろうか? 戦後、日本を貶める為にでっち上げた濡れ衣、実はアメリカ軍の無差別攻撃である。
フィリピン人は戦後71年過ぎた今、「マニラ10万人虐殺はアメリカ軍の仕業」と事実を語って欲しいものだ。

忘れてはならない硫黄島の戦い
2016・8・26 産経ニュース 共同
硫黄島星条旗また誤記録、米軍発表2人が別人
「記事内容」
米海兵隊は25日までに、太平洋戦争の激戦地、硫黄島の摺鉢山で1945年2月に星条旗を最初に立てたとして、公式文書に記録されていた米兵6人のうち2人が別人だったとの調査結果を発表した。
米軍は当時、摺鉢山に星条旗を立てた後、さらに大きい旗に取り換えた。
海兵隊は2回目の星条旗掲揚をしたとして記録されていた米兵のうち1人が別人だったと6月に公表。
その後、1回目の掲揚の記録が正確かどうかも調べていた。
海兵隊の発表によると、最初に星条旗を立てたとされていた米兵のうち2人は摺鉢山にいたものの、掲揚には直接関わっていなかったことが分かった。
また、6月の発表で2回目の掲揚に関わっていなかったことが判明した海軍衛生兵のジョン・ブラッドリー氏は、1回目の掲揚に関わっていたことも明らかになった。
 
※国旗一本立てるのに大人が6人、大げさ過ぎないか? 嘘つきアメリカ人らしいエピソードである。
滑走路の下に皇軍兵士が眠っているのだが、嘘つき安倍総理は硫黄島を訪れた時、必ず遺骨を収集をすると英霊に誓ったが、既に忘れているようだ。
裏切り者とも言える敗戦利得者(嘘つき)が大切な人材なのか?
2016・8・24 ユーチューブ 最重要動画 必見 
【海外の反応】米国「俺達が教わった歴史は嘘だった」原爆投下の真実にアメリカ人から様々な声

「コメント」
オリバー・ストーン氏とピーター・カズニック氏が、共同でロサンゼルス・タイムズ紙に寄稿、米国「俺達が教わった歴史は嘘だった」
原爆投下の真実にアメリカ人から様々な声。
 
※嘘を捏造する反日国家・アメリカ合衆国だが、嘘つきアメリカ人の中に勇気ある正直者がいた!
この二人は大東亜戦争の極一部だが、原子爆弾投下について事実を紙面に暴露した。
大東亜戦争の全てを暴露して欲しい。
東京国際軍事裁判がマッカーサーと蒋介石が嘘用いてリンチを実行した事実も暴露して欲しい。
毎日新聞が捏造記事を掲載、戦場で「100人切りを実行した」と濡れ衣を着せられ死刑になった二人もいるが、マッカーサーと蒋介石がでっち上げた嘘の罪で1,000人以上の日本人軍関係者が死刑になっている事実を知って欲しい。
従軍慰安婦も南京大虐殺、マニラ10万人大虐殺、死の行進と、どれをとっても全て嘘である。
靖国に眠る英霊に約束します。
ようやくここまで来ました。
将来、必ず皆様の冤罪を晴らします。
心あるアメリカ人と心ある日本の手によって・・・、ここにお誓い申し上げます、安らかにお眠りください。
満洲国秘話
2016・8・21 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(30)特別編】
朝鮮出身者はエリートだった 満州国軍軍官学校で「日系扱い」に
「記事抜粋」
満州国軍の兵力は約15万(終戦時)。建国時(昭和7年)に交わされた日満議定書で満州国の国防は日本軍(関東軍)に委託されており、満州国軍は補佐的に一翼を担うことになる。
当初は張学良配下の旧東北軍などの軍閥、日満混合の靖安(せいあん)遊撃隊ら雑多なメンバーで構成されていたが、自前で士官(満州国軍では軍官と呼んだ)を養成する軍官学校を設立し、軍隊としての体裁を整えてゆく。
もちろん日本が“首根っこ”を押さえる形ではあった(日本人は指揮官のみ)が、軍官学校は満州国を構成する5族(日、満、漢、鮮、蒙)すべてを受け入れた。
日本人軍官の上官に中国人が就(つ)いたり、モンゴル人騎兵部隊を日本人指揮官が率いるユニークな軍隊になったのである。
  日本陸士を受けたが…  多かった北の出身者
満州国軍官学校のつながりは地域だけでなく「タテ」(先輩後輩)「ヨコ」(同期)も強かった。
金光植が終戦直後、軍官学校日本人上官の機転によって危うくシベリア行きを免れ、鮮系先輩の手引きで丁一権率いる新京の「朝鮮保安隊」に加わるのは前回書いた通りである。
京城に戻った後、軍事英語学校(後に韓国陸軍士官学校)に入ったのも、朝鮮戦争(1950~53年)のとき、いったん軍から離れていた金を呼び戻したのも満州人脈であった。
軍官学校出身者は学校の所在地から「同徳台」と呼ばれ、韓国軍内の主要人脈のひとつとなってゆく。
1961年5月、朴正煕が軍事クーデターを起こし、政権を奪取したときも多くの満州人脈が支えている。
だが後には、少なくない軍人が大統領になった朴から疎まれ、失脚させられてしまうのだ。
 
※韓国人の嘘つきは李承晩の嘘(李承晩ライン)が起源であろうが、この嘘が国と国民を嘘つきに変えたのであろう。
特攻=勇者のケジメ、玉砕、日本滅亡
2016・8・21 産経ニュース 編集局次長兼政治部長 有元隆志 【編集局から】
なぜ特攻が行われたか 真相究明が最良の慰霊
「記事内容」
この夏、連載企画「歴史戦」の取材で、昭和12年10月に中国河北省正定でオランダ人のカトリック司教ら9人が殺害された「正定事件」を見直すにあたり、当時の史料の読み込みを行っています。
そんなとき『忙中本あり』の著者でもある元国会議員の赤松正雄氏から紹介されたのが『戦争の罪と罰 特攻の真相』(芙蓉書房出版)でした。
著者の畑中丁奎(ちょうけい)氏は大阪府内で教師をしながら、こつこつと防衛省防衛研究所が所蔵する記録などを読み込み、なぜ特攻が行われたかに迫りました。
巻末の10ページ以上にわたる参考文献の数からも著者の熱意が伝わってきます。
特攻の評価にはいろいろな見方がありますが「真相が究明されることこそが最良の慰霊行為である」と畑中氏は強調します。
私たちも同じような思いで連載に取り組んでいます。
戦後71年目の夏が終わっても「歴史戦」は続きます。
 
※今年は戦後71年目の夏、昨年とは大東亜戦争についての記事の量の少なさが目立った。
下段に武田邦彦教授が科学者の見地から特攻について語っている。
本誌が紹介した『戦争の罪と罰 特攻の真相』と武田教授の論調の違いを比べるのも夏の名残にお勧めである
アメリカの残虐性・敗戦直後の日本人のダメさ加減
2016・8・3 ユーチューブ 最重要動画 必見  
武田邦彦★アジアを奴隷から開放した誰も知らない日本の歴史!前編 #武田邦彦
武田邦彦★アジアを奴隷から開放した誰も知らない日本の歴史!後編 #武田邦彦
「コメント」
ナシ
 
※前編
未だ観る時間が・・・
 ※後編
日本の東条英機とフランスのナポレオンを対比、大東亜戦争末期とワーテルローの戦いを対比。

文系の学者は事実がどうあれ、己の損得と出世欲の為に嘘を吐く脳。
理系の学者は事実を探求し客観的に分析する脳。
この差は大きい。
理系の武田邦彦教授が素晴らしい解説をしている、是非ご覧あれ!
慰霊祭
2016・8・19 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ) 菊池雅之
【最新国防ファイル】朽ち果てたゼロ戦が物語る戦いのすさまじさ 「ペリリュー島慰霊祭」
「記事抜粋」
太平洋上のミクロネシア地域に存在し、300以上もの島々で構成されるパラオ共和国。透明度の高い海は観光客を魅了する。この島はかつて日本の委任統治領だった。
南洋庁が置かれ、多いときで約2万5000人もの日本人が住んでいた。
第2次世界大戦が始まると、日本の太平洋進出の重要な拠点となった。
大戦末期は激戦地となり、1944年9月から約2カ月続いたペリリュー島争奪戦では、日米双方合わせて約4万人が戦った。
約1万人いた日本側守備隊は、34人しか生き残らなかった。
戦後71年を経て、海上自衛隊の輸送艦「しもきた」が、米軍主催の「パシフィック・パートナーシップ16」に参加するため、パラオに入港した。
太平洋諸国を回り、医療活動や建設工事、文化交流を行い、各国との協力関係を強化する活動だ。
自衛隊は10年から参加しているが、パラオを訪れたのは初めて。
自衛隊や民間の医療関係者など約260人が、8月5日からパラオで活動を開始した。
かつて戦艦「武蔵」も錨(いかり)を下ろしたコロール島沖に「しもきた」も停泊した。
陸上との行き来にはホーバークラフト型の輸送艇LCACが使われた。
地元の人々が「スコージョウ」と呼ぶ、帝国海軍飛行艇用飛行場に上陸した。
当時から変わらないコンクリート製のスロープをLCACがあがっていく。
市内では自衛官や民間の医師が、米・英軍らとともに診療所を開設した。
陸自施設科隊員は、パラオ高校の屋根を塗装した。
常にパラオ国民の笑顔があった。
8月12日、自衛隊はペリリュー島へ渡り、慰霊祭を実施した。
南北9キロ、東西3キロの小さな島だ。
つづく
日本政府が隠す日ソ戦
2016・8・19 産経ニュース (1/4ページ) モスクワ 遠藤良介
1945年の旧ソ連対日参戦、正当化論調に異議「約束守るべきだった」 アレクセイ・キリチェンコKGB元大佐インタビュー
「記事抜粋」
第二次大戦後の北方領土問題や「シベリア抑留」の悲劇を生んだ旧ソ連の対日参戦(1945年8月9日)について、ロシアでは当時の日ソ中立条約(41年締結)の効力を否定して正当化する論調が強まっている。
ソ連による抑留問題の実態を暴露したソ連国家保安委員会(KGB)元大佐の歴史家、アレクセイ・キリチェンコ氏(79)は産経新聞のインタビューに応じ、こうした見方が誤っていると論破した。
一問一答は次の通り。
  --ソ連は45年4月5日、中立条約を延長しない旨を日本に通告した。
これをもって、対日参戦に問題はなかったとの主張がある
  「ソ連のモロトフ外相は当時、日本の佐藤尚武大使に条約を延長する意思がないことを表明した。しかし、老練な佐藤大使は、条約が46年4月25日まで有効であることをモロトフに認めさせている。後にスターリン首相がこれを“修正”して対日参戦したということになるが、外相の約束は破られるべきでなかった」
  --ある日本専門家は最近の論文で、41年の日本軍人らの発言や松岡洋右外相の「北進論」を挙げ、日本には中立条約を守る意思がなかったと強調している
  「戦争のことを考えるのが軍人の仕事である。ソ連との戦争に反対する者が陸軍にも海軍にも存在していた。松岡は政府と見解が相いれず、同年7月に更迭されている。誰にどんな『計画』があったとしても、それに意味はない」
 --ソ連の極東戦力が日本の対ソ攻撃を抑止したとも主張されている
  「実際には、日本は41年秋、満州の関東軍からの部隊引き抜きも含め、南方へと兵力を迅速に集中させた。9月にはソ連にも、当時の関東軍の構成では、日本に戦争はできないということが明らかだった。10月末には、スターリンが極東の軍や共産党指導者との少人数の会合を持ち、極東の部隊を西部(対ドイツ戦)に投じることが決まった。日本が攻撃してこないとの確信があったのだ」
  「ほかならぬ極東の部隊が41年11月7日にモスクワの『赤の広場』でのパレードを行い、そこから(西部の)戦闘に向かった。それによってモスクワは攻撃されることを免れたのだ。41年から43年の間に、極東から西部へと完全に訓練・武装された42個師団が振り向けられた」
つづく
     ◇
ソ連の対日参戦 ソ連軍は1945年8月9日、当時有効だった日ソ中立条約を破って日本に対する戦闘を開始し、満州(中国東北部)や樺太(サハリン)などに侵攻。
日本がポツダム宣言を受諾し、15日に終戦の詔書が発表された後も一方的な侵略を続けた。
ソ連軍が日本の北方四島を占拠し終えたのは、日本が降伏文書に調印した9月2日よりも遅い同5日だった。
ソ連はまた、武装解除した日本将兵など約60万人を旧ソ連各地に連行して強制労働を課し、6万人以上の死者が出た(「シベリア抑留」)。
     
アレクセイ・キリチェンコ氏 ソ連国家保安委員会(KGB)元大佐、ロシア科学アカデミー東洋学研究所上級研究員。
1936年、旧ソ連のベラルーシ生まれ。
64年にKGB大学を卒業しKGB第2総局で対日防諜を担当。
80年代に研究所入りして日本人強制抑留問題に取り組み、日露間での真相解明に向けた原動力となった。
著書に「知られざる日露の二百年」(現代思潮新社)がある。
 
※プーチンの意向反映か? 産経よ、ロシアの紙面に掲載しろ!
硫黄島の戦い
2016・8・18 mns 
硫黄島で死んだ「日本人金メダリスト」の悲劇 米兵にも愛された「バロン西」を知ってますか
「記事抜粋」
日本馬術史上、唯一の金メダリストをご存じだろうか?
1932年のロサンゼルス・オリンピック最終日、西竹一中尉は当時花形競技だった馬術にて勝利し、「バロン・ニシ」の名でその勇姿を称えられ、日本国内はもとより世界からも賞賛を受けた。
しかし、その伝説的英雄も、やがて太平洋戦争最大の戦いのひとつ、「硫黄島の戦い」で壮絶な最期を遂げる。
「日本史を学び直す最良の書」として、作家の佐藤優氏が外交官時代、肌身離さず持ち歩いていた「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て40年ぶりに『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計15万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、硫黄島の戦いの司令官だった栗林忠道中将や西も所属していた千葉県の習志野騎兵旅団の跡地に戦後、開設された東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、「硫黄島の戦い」を解説する。
  日本馬術競技史上、唯一の金メダル!
日本馬術史上、唯一の金メダリストをご存じでしょうか。
ブラジル、リオデジャネイロ・オリンピックが開催され、日本人選手の活躍が日々続々と伝えられています。
実は、いまから80年以上前に開催された戦前のオリンピックでも、「ある一人の日本人アスリート」が金メダルを獲得しました。
競技は「馬術」。
その後、現在に至るまで、日本が馬術でメダルを獲得したことは一度もありません。
今回はその伝説的アスリート「バロン西」こと西竹一をテーマに、なぜ彼は戦場に行かざるをえなかったのか、彼が派遣された「硫黄島の戦い」の全貌を詳しく見ながら、解説したいと思います。
今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。
  伝説的「金メダリスト」はどんな人物?
   Q1.そもそも「バロン西」こと西竹一はどんな人物ですか?
西竹一(にし・たけいち)は、華族(男爵)出身の陸軍騎兵将校です。
生まれは東京の麻布笄町(こうがいちょう・現在の西麻布2丁目)。
学習院から府立一中、陸軍士官学校へと進みます。
「高身長」「美男子」「明るい性格」でいかにも男爵家育ちといった天真爛漫(らんまん)な人柄は、欧米の社交界でも人気を得ました。
中略
現在の平和な日本がある背景に、命を捧げた多くの人たちがいたというのは紛れもない歴史の事実です。
ただし、「あの戦争」を正当化し、それを賛美することは許されません。
日本人はなぜ「戦争」という道を選ばざるを得なかったのか、どこで何を間違えたのか
ぜひ日本史を学び直し、「あの戦争とは何だったのか」をみなさんなりに考えてください。
「日本史」を知ることは、私たち「日本人」を知ることにほかならないからです。
 
※日本は決して間違っていない。
反日左翼と反日日本人が放つ嘘を見抜け! 
大日本帝国はABCD包囲網(経済封鎖)や偽のハルノート(コミンテルンの謀略)、蒋介石の裏切りを受け、止む無く戦火が拡大したのが大東亜戦争である。
白人国家に唯一立ち向かったのが大日本帝国(黄色人種の日本人)である。
アメリカ合衆国・大英帝国・フランス・オランダと戦い唯一アメリカ合衆国一国だけに負けた。
しかし、大東亜戦争を切欠に奴隷解放とアジア・アフリカ諸国に希望と夢を与え、その後、多くの国々が白人国家から独立を果たした。
大東亜戦争は日本人が誇るべき戦争であり、大日本帝国は決して恥ずべき戦争をしてはいないのである。
アメリカ(マッカーサー)と中華民国(蒋介石)が大日本帝国と皇軍(日本人)を多くの嘘で濡れ衣を着せ貶めた卑怯な愚か者である。
皇軍の美談はアジア各地で多くが今も語り継がれ感謝され讃えられている。
日本人は日本人の素晴らしさと輝く史実を知って欲しいと願っている。
英霊に感謝!
追伸
作家の佐藤優氏に要注意、彼は沖縄紙に沖縄独立論を掲載していた得体の知れない男である事をお忘れなく! 彼は指摘されているが、無言を貫いている。
海外の日本人必読の書
2016・8・17 産経ニュース (1/2ページ) 【ソウルからヨボセヨ】
8月15日から始まったもう一つの「戦争」 名村隆寛
「記事内容」
この夏、新田次郎の「望郷」と藤原ていの「流れる星は生きている」を読み返した。
両氏は夫婦で、終戦を旧満州の新京(現在の中国・長春)で迎えた。
だが、引き揚げ途中、北朝鮮北西部の宣川(ソンチョン)で新田はソ連軍の捕虜として捕らえられ、妻と3人の幼児と離ればなれになる。
2冊の著書は、その後、旧満州延吉の収容所に送られた新田の自伝的小説と、5歳から赤ん坊までの子供3人を連れ苦難の末に朝鮮半島の38度線を越え、帰国した藤原の体験記だ。
夫妻の次男は、数学者の藤原正彦・お茶の水女子大学名誉教授で、母の著書には「正彦、泣いたら、おいていくぞ!」と極限状況下、男言葉で必死に叫んだ当時の様子が克明に記されている。
互いの安否も不明なまま、夫妻は再会を祈り冬を越す。
新田、藤原の家族全員は1年余り後、別々に日本に帰国した。
ただ、極めて幸運なケースだ。
満州、北朝鮮からの引き揚げ途中に、家族を亡くした者、全員が無念の最期を遂げた家族は非常に多い。
終戦時、北朝鮮にいた日本人24万6千人余りのうち、死者は確認されているだけで約2万3500人にも上る。
8月15日に戦争は終わったが、外地の日本人にはその瞬間、「新たな戦争」が始まった。
終戦の日に、日本人の苦難の歴史を改めてしのんだ。
 
※無責任な反日日本政府(政治家)は何があろうが、在外邦人を救出しない。
在外邦人は覚悟があるのだろうか? 企業経営者は救出の準備をしているのだろうか? それとも使い捨てなのか?
嘘つき安倍総理は日支戦争を回避できるのか?
2016・8・16 ZAKZAKby夕刊フジ 元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一
是清暗殺も軍部暴走もなかったかも? 第二次大戦に至った各国の経済状況
「記事抜粋」
8月15日は終戦の日だ。
第二次世界大戦に至った日本や各国の経済状況はどのようなものだったのか、振り返っておこう。
第二次大戦前の経済は、大恐慌と呼ばれる時代に突入していた。
米国の1933年の名目国内総生産(GDP)は、19年から45%減少し、株価は80%超下落。
工業生産は平均で30%以上低下し、失業者は1200万人、失業率は25%に達した。
36年ごろにインフレ傾向が出始めると、米連邦準備制度理事会(FRB)は引き締めに転じ、37年には財政支出も大幅にカットされたことで、38年に再び不況になった。
ドイツは第一次大戦後、賠償金負担に苦しみ、通貨を増発しすぎてハイパーインフレに陥った。
これを見事に沈静化させていたが、世界恐慌で経済は再び苦境に陥った。
32年の失業者は600万人、失業率は30%を超えた。
それを3年間で失業者数を160万人まで減らし、世界恐慌前の経済状態に戻したのが、アドルフ・ヒトラーの経済政策である。
アウトバーンの建設など、積極財政による雇用政策がうまくいったのだ。
日本については、世界恐慌とほぼ同時期に行われた金解禁によって通貨高になり、輸出が落ち込んで昭和恐慌を招いた。
立憲民政党の濱口雄幸内閣は、金本位制復帰に伴って緊縮財政を採用し、猛烈なデフレとなった。
31年の経済状況を29年と比較すると、国民所得が2割減、物価は3割減であった。
統計上の失業率は8%程度(32年)だったが、統計上の不備などのために過小評価になっており、かなりの失業者がいた。
その後、高橋是清の財政・金融政策によって恐慌から抜け出した。
こうした大恐慌について、米国の29年の株価暴落が世界経済に波及し、世界各国でそれぞれの要因によって不況になったというのが俗説であるが、ここ20年くらいの研究でまったく誤っていたことがわかっている。
それが国際比較による大恐慌研究で、ベン・バーナンキ前FRB議長はその権威である。彼によれば、金本位制に執着した国は十分な金融緩和ができずデフレから抜け出せなかったが、金本位制を放棄した国では自由に金融緩和できたのですぐ脱出できたというのだ。
ドイツのヒトラーと日本の高橋是清はいずれも金融緩和をいち早く行い、早期のデフレ脱却に寄与したが、戦争への関わりについては両極端だ。
ヒトラーはいうまでもなく、独裁体制を構築して、戦争に突き進んだ。
これに対し、高橋是清はデフレ脱却後、軍事費の緊縮に動いたことで暗殺され、その結果、軍部の台頭を招いて日本は戦争に向かっていった。
ヒトラーに戦争責任はあるが、高橋是清はむしろ戦争を予防しようとした。
ただ、ドイツで大恐慌がなければ、ヒトラーは歴史の表舞台に出てこなかったともいえる。
なまじ経済政策でヒトラーは成功したので、独裁体制を招き第二次世界大戦の元凶となってしまった。
日本でも大恐慌がなければ、軍部の独走はなかったかもしれない。
経済が貧しくなると、傑出した英雄を求め、その結果として、戦争が起こりやすくなるのではないか。
満洲国秘話
2016・8・16 産経ニュース (1/4ページ) 中村雅和 重要記事 必見
元関東軍情報部員、対ソ諜報戦の一端明かす シベリア抑留から復員後はモンゴル首相に密書「捕虜の早期帰国を」
「記事抜粋」
さきの大戦では終戦後、満州で武装解除した日本兵がソ連軍に連行され、シベリアで過酷な労働を強要された。
2年間、抑留された元関東軍情報部員の木村哲行氏(92)=福岡県筑紫野市在住=は抑留先ではロシア語の通訳として苦難を乗り越えた。
そんな時代の生き証人が、かつての対ソ諜報戦の一端を明らかにした。
木村氏は日本統治下の朝鮮半島で育った。
実業学校を卒業後、外モンゴルと国境を接する満州国の役人だった親類の元に身を寄せる。
そこで、モンゴル人家庭に住み込んだ。
語学力を買われ、ハルビン特務機関(後の関東軍情報部)の一員となった。
昭和18年からは外モンゴルとの国境線沿いで、対ソ戦に備えた諜報活動に入る。
遊牧民のモンゴル人部族を対象とした宣伝工作を行った。
ソ連やその影響下にあった外モンゴル領内にモンゴル人協力者を潜入させ、木村氏も密かに、外モンゴル軍が敷設した電話線からの盗聴を行った。
夜闇にまぎれて移動中に外モンゴル軍から照明弾を発射され、危うく所在が見つかりそうになって難を逃れたりと、常に命の危険にさらされ続けた。
それでも「お国のために」と諜報にあたった。
つづく
  ■シベリア抑留■ 
さきの大戦の終結後、ソ連はポツダム宣言の規定に反し、ソ連占領地区の日本軍人らをソ連国内などに強制連行した。
日本政府は日本人の早期の帰国を求めて米国を介して交渉を続け、昭和21年12月、米ソ間で成立した協定で引き揚げを始めた。
厚生労働省によると日ソ共同宣言が発効した31年12月までに約47万人が帰国を果たした。
 
※始めて知った。
モンゴル軍が何故、日本人を捕虜にしたのか? 日本政府は未だ未だ、国民に多くの事を隠し続けているのであろう。
この事実を知ると、モンゴルが友好国?・・・
戦後、自民党はアメリカの傀儡政権、野党は売国党、英霊(大和魂)が泣いている。
情けない。
サイエンス思考の大東亜戦争
2016・8・15 DHCTHEATER  世紀の8・15記念・武田邦彦の最重要動画 必見 
8/15(月)〜武田邦彦・半井小絵・居島一平〜【真相深入り!虎ノ門ニュース】【Toranomon NEWS】
「放送内容」
ナシ
 
※日本人よ、日本人の誇りを取り戻せ! 大東亜戦争は大日本帝国が人類を解放した大変意義ある戦争である
この動画を是非ご覧あれ!
半井は普通の代表的女性として出演させているのであろう。
アメリカの戦争犯罪・大阪大空襲・朝鮮人だけに言及
2016・8・14 朝日新聞デジタル 
終戦前日の大阪大空襲、徴用工らが見た「地獄」
「記事抜粋」
太平洋戦争が終わる前日、米軍が大阪城周辺を爆撃した最後の大阪大空襲(京橋駅空襲)。標的は「東洋一の兵器工場」といわれた日本陸軍の大阪砲兵工廠(こうしょう)だった。そこで働く人の中には、朝鮮半島から動員された若者もいた。京橋駅で生き地獄を目にした少年もいる。数百人の命が奪われた悲劇から14日で71年。体験者はなお痛みを抱え、あの日を語り継ぐ。
  ■足に傷痕、消えぬ記憶
大阪砲兵工廠には終戦時、従事者の2%にあたる1319人の朝鮮人徴用工がいたとされる。
実態を調べる市民団体「大阪府朝鮮人強制連行真相調査団」の空野佳弘弁護士らが韓国の公文書で動員された人を突き止め、昨年、生存者3人に初めて聴き取りをした。
その1人が先月、記者の取材に応じ、右足の傷痕をさすりながら71年前の体験を語った。
故郷の韓国南西部・井邑(ジョンウプ)市に住む洪東周(ホンドンジュ)さん(88)。
朝鮮半島が日本の植民地下にあった16歳の春。官憲が突然、家に来て「ちょっと用がある」。
数十人が集められ、汽車やトラックで釜山(プサン)へ向かい、船で山口・下関へ。たどり着いたのが大阪砲兵工廠だった。
配属先は高射砲の部品などを造る工場。
日本人の工員から「おい、半島人」と呼ばれるのが嫌だった。
訳も分からず殴られることもあった。学徒動員の女学生が差別的な言動をたしなめるのに救われたという。
1945年。砲兵工廠は空襲にさらされ、広い敷地を逃げ惑った。右足のふくらはぎを爆弾とみられる金属片でえぐられ、両足にやけども負った。
バラバラの遺体が電線にぶらさがる「地獄の光景」。今も脳裏から消えない。
 
※やはり朝鮮人の話か? 日本人が人種差別と・・・日本人の死者の数の方が多いと思が、日本人の被害について一字も記載がない。
意地汚い新聞だが、朝鮮朝日新聞なのか?
朝日新聞よ、太平洋戦争! 頂けないね、正式には大東亜戦争のアメリカ戦と記載しなければ嘘だろう。
九七式艦上攻撃機(九七式艦攻)」の原寸大レプリカの製作
2016・8・13 産経WEST (1/4ページ)
トラトラトラ!真珠湾攻撃の旧海軍機を「復元」 佐伯市の戦争遺構研究グループ 
「記事抜粋」
大分県佐伯市の戦争遺構研究グループ「歴進会」が、旧日本海軍の攻撃機「九七式艦上攻撃機(九七式艦攻)」の原寸大レプリカの製作を進めている。
佐伯海軍航空隊にゆかりある飛行機だ。
同グループは「復元」によって、地元・佐伯に深く関係する戦争の記憶を後世に残し、理解を深めたいと思いを込める。
(村上智博)
佐伯海軍航空隊は昭和9年に開隊した。
瀬戸内海から連合艦隊などが出撃するときに、豊後水道の安全を確保するのが主要目的だった。
市内には、佐伯海軍航空隊の掩体壕(えんたいごう)などの戦跡が点在する。
  佐伯湾で演習
16年12月の真珠湾攻撃に際して連合艦隊機動部隊は、佐伯湾を攻撃目標である真珠湾に見立てて最後の演習を行い、出撃した。
つづく
  すべて手作業
  風化させぬ
     ◇
九七式艦上攻撃機とは 日本海軍として初の全て金属製で主翼が1枚の攻撃機。
中島飛行機、三菱重工業が生産したが、主に中島飛行機製で真珠湾攻撃にも参加した「九七式三号艦上攻撃機」のこと。
3人乗りで、前席が操縦席、中席が偵察席、後席が機関銃座。
機体サイズは全長10・3メートル、全幅15・5メートル。
大戦中期以降は、哨戒活動や輸送船団護衛に就いた。
8・15を前にして
2016・8・13 チャンネル桜  必見動画 
1/3【討論!】大東亜戦争と天皇[桜H28/8/13]
2/3【討論!】大東亜戦争と天皇[桜H28/8/13]
3/3【討論!】大東亜戦争と天皇[桜H28/8/13]
「放送内容」
パネリスト:
 小川榮太郎(文藝評論家)  桶谷秀昭(文芸評論家)  小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)  澤村修治(評伝作家)
 富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)  西部邁(評論家) 司会:水島総
 
※小川氏が冒頭紹介された文献の中にある様に、白人は戦後71年が過ぎても尚、日本を悪辣非道な国と歪め貶める宣伝をしているのである。
白人と唯一戦った大日本帝国を、世界で最も優れた大和民族を今尚、恐れている証である。

日本の有識者は既に大東亜戦争の総括を終えているが、日本政府は是非、政府主導で大東亜戦争の総括をして欲しいと考えている。
何が言いたいのか? アメリカの戦争犯罪は免れない! 
2016・8・7 産経ニュース 共同 
広島原爆、写真のきのこ雲は火災の煙か 米研究所が指摘

「記事内容」
広島への原爆投下時に撮影された有名な写真に写るきのこ雲が、爆発直後にできたものではなく、しばらく時間がたって地上の激しい火災によって発生した煙や雲とみられることが分かった。
原爆を開発した米ロスアラモス国立研究所が、このほど明らかにした。
ニューヨーク・タイムズ紙は、オバマ大統領の広島訪問に先立つ5月、写真について「実は“きのこ雲”でなかった」と驚きを交え報じた。
同研究所のロアーク報道官によると、爆発直後のきのこ雲は数分程度で消える。
写真の規模の雲が直後にできたとすると、広島の原爆とは比較にならない威力が必要で「火災による煙の柱」と分析した。
写真は1973年、米国が日本に提供した「返還資料」の中にあった。
複製を展示する広島の原爆資料館は「米軍機より撮影したきのこ雲。松山市上空から撮影」と説明している。
 
※原爆のきのこ雲であろうが、広島の原爆による大火災の煙であろうが、どちらでもいい、原爆投下はアメリ軍による日本人大虐殺、これぞ戦争犯罪である。
原爆による悲惨な写真、煙の下の憐れな日本人の姿を想像出来るのか? アメリカ人。
何が言いたいのか? アメリカの戦争犯罪は免れない! 
2016・8・7 産経ニュース 共同 
広島原爆、写真のきのこ雲は火災の煙か 米研究所が指摘
「記事内容」
広島への原爆投下時に撮影された有名な写真に写るきのこ雲が、爆発直後にできたものではなく、しばらく時間がたって地上の激しい火災によって発生した煙や雲とみられることが分かった。
原爆を開発した米ロスアラモス国立研究所が、このほど明らかにした。
ニューヨーク・タイムズ紙は、オバマ大統領の広島訪問に先立つ5月、写真について「実は“きのこ雲”でなかった」と驚きを交え報じた。
同研究所のロアーク報道官によると、爆発直後のきのこ雲は数分程度で消える。
写真の規模の雲が直後にできたとすると、広島の原爆とは比較にならない威力が必要で「火災による煙の柱」と分析した。
写真は1973年、米国が日本に提供した「返還資料」の中にあった。
複製を展示する広島の原爆資料館は「米軍機より撮影したきのこ雲。松山市上空から撮影」と説明している。
 
※原爆のきのこ雲であろうが、広島の原爆による大火災の煙であろうが、どちらでもいい、原爆投下はアメリ軍による日本人大虐殺、これぞ戦争犯罪である。
原爆による悲惨な写真、煙の下の憐れな日本人の姿を想像出来るのか? アメリカ人。
騙された日本人・許せない
2016・8・6 BuzzFeed Japan  (1/3ページ)   籏智広太、溝呂木佐季 最重要記事 必見
「オバマ大統領は、広島で変われなかった」 被爆者の怒りと願い

「記事抜粋」
2016年5月27日は、広島にとって歴史的な1日だった。
アメリカの現役大統領が初めて、広島を訪問した日。被爆地は沸いた。
大勢の人が通りに出て、オバマ大統領の車列を出迎えた。
そのスピーチに、聞き入った。
それから、2ヶ月と少しが経った。
今年もまた、8月6日がやってくる。
オバマ大統領が演説した現場にいた被爆者は、BuzzFeed Newsにこう振り返った。
  「広島に来れば人は変わる、でも、オバマ大統領は変わらなかった」
  「所感を話したというけれど、あの人は何も感じていませんよ。予定されたことを言っただけだ」
BuzzFeed Newsの取材にそう答えたのは、被爆者唯一の全国組織である日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局長・田中熙巳さん(84)。
当日、会場にいた被爆者5人のうちの1人だ。
71年前、長崎で被爆した田中さんは演説の直後、記者会見で演説について問われ、「素晴らしい」と感激した面持ちで評価していた。
いま、そのことを後悔しているという。
翌朝、帰りの新幹線で演説内容を読み直していたとき、それが間違いだったと気づいたからだ。
田中さんの後悔を誘ったのは、スピーチの冒頭部分だった。
オバマ大統領は17分間に及んだ演説を、こう始めている。
“71年前。
雲のない晴れた朝。
空から死が落ちてきて、世界は変わりました。
閃光と炎の壁がこの都市を破壊しました

人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたのです“
  「死が落ちてきた、そして世界が変わったと。愕然としちゃったよ。だって、死が落ちてきたんじゃないもん。彼らが、アメリカという国が落とした爆弾で、見るに堪えないような死の状態ができたんですよ」
同時通訳で演説を聞いていた田中さんには、その内容のすべてが頭に入っていたわけではなかった。
冒頭を、聞き逃していたという。
  「死をつくったのは、彼らなんです。それも残忍な殺し方で、何万人もの死を」
中略
原爆を落としたアメリカの現役大統領が広島を訪れたことは、間違いなく、歴史的だった。
その意義について様々な思いが交錯するまま、広島と長崎は、被爆71年目の夏を迎える。
 
※オバマは神を気取ったのか? 本当に醜いアメリカ人である。
このスピーチの冒頭は日本人への冒涜である。
私もオバマ演説を確認せずに今日に至っており、オバマがこんなスピーチをしたとは思ってもいなかった。
この後、全文を確認しようと思う。
日本人は大東亜戦争の意義と戦後の日本人を考えろ!
2016・8・5 産経ニュース (1/4ページ) 【正論】
戦後71年に思う 今日の日本人に必要なのは「臓腑の腐り止め」としての昭和の悲劇の記憶だ…「痛み」を精神的再生の梃とせよ 文芸批評家・都留文科大学教授・新保祐司
「記事抜粋」
『戦艦大和ノ最期』の著者、吉田満は、戦後33年の年に「戦後日本に欠落したもの」という文章を書いた。
この憂国の著作は「戦後日本に欠落したもの、日本人としてのアイデンティティーの確立が、現在ほど喫緊の課題として求められている時は、ないであろう」と結ばれている。
  ≪われわれは何をやってきたのか≫
戦後71年を迎える日本の状況を思うとき、40年ほどたっても何も変わっていないことにまずは愕然(がくぜん)とすべきである。「戦後日本に欠落したもの」は、いまなお「欠落」したままであるからである。
そして、ここまで何も変われない、あるいは変わろうとしない日本人の精神的怠惰から脱却することが喫緊の課題である。
吉田は、翌年に執筆した「戦中派の死生観」の中で、菊池寛の「故人老いず生者老いゆく恨かな」という名句を引用し、自分なら「故人老いず生者老いゆく痛みかな」としたいと書いた。
「戦死者はいつまでも若い。いや、生き残りが日を追って老いゆくにつれ、ますます若返る。慰霊祭の祭場や同期会の会場で、われわれの脳裡に立ち現われる彼らの童顔は痛ましいほど幼く、澄んだ眼が眩(まばゆ)い。その前でわれわれは初老の身のかくしようがない」と述懐し、「われわれは一体、何をやってきたのか」と痛切に問うた。
つづく
  ≪日本人を堕落させない重石に≫  ≪臓腑の「腐り止め」が必要だ≫
中略
8月15日は、この「颯爽たる声」に心揺すぶられ、誇り高い日本を創造する道に邁進(まいしん)することを決意する日である。
 
※日本人よ、銭さえあれば満足か? 靖国の英霊は日本人の誇りの無さに涙しているだろう。
特に労働組合に所属する労働者に告ぐ、反日でいいのか? 組合幹部から単に利用されているだけだろう。

暴かれた反日外務省・スパイなのか?
2016・8・1 産経ニュース (1/5ページ) 【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】 最重要記事 必見
外務省は旧日本軍に罪を着せるのか 名誉を守る努力をしないのは情報操作? それとも能力不足?
「記事抜粋」
外務省に日本と日本人の名誉を守る気概はあるのか。
強い疑問を抱かざるを得ない。
旧日本軍とは無関係の国際的神父殺害事件を旧日本軍の犯行であったかのように政府高官に報告し、中国の対日歴史非難と歩調を合わせるかのような情報操作を、外務省が行っていた疑いがある。
右の神父殺害事件は1937(昭和12)年、旧日本軍の南京攻略に先立つ10月9日に発生した。
中国河北省正定で、当時フランス政府の管轄下にあったカトリック教会が襲われ、神父9人(オランダ人神父を含め全員がヨーロッパ人)が殺害された。
世に言う「正定事件」である。
正定事件に関し、中国とオランダは犯人は旧日本軍、殺害理由は日本軍が女性200人を要求したのを神父らが断ったことだと断定する。
命を犠牲にして女性たちを守った神父は、「徳と聖性の高い福者(聖人に次ぐ立派な人材)」であり、列福して顕彰すべきだと両国が2014(平成26)年以来バチカンに働きかけている。
中略
正定事件と中国の動きについて、私は遅まきながら今年に入って初めて報道した。
素早く反応したのが官房副長官の萩生田光一氏だった。
外務省に調査を命じ、外務省は直ちに資料をまとめた。
要点は「日本軍は9人を殺害した。しかし、女性を要求した事実はない」のである。
だが、外務省報告は根本から間違っていた。
それを私は読者の中林恵子さんと熊岡醇氏に指摘されて知った。
届いた資料の中に当時の在北京日本大使館員、森島守人参事官の公文書が含まれていた。
これはスイス在住の日本人女性がナントのフランス外交史料館で入手したものだ。
森島公文書は1938(昭和13)年2月13日付、在北京フランス大使館のフランシス・ラコステ氏宛てに日本政府が行った事件の調査結果を報告したものだ。
そこには犠牲者への深い哀悼と、日本軍が第三国の国民、とりわけミッショナリー(宣教師)の生命と財産保護のために取った具体的措置が詳述されているが、最も大事なことは、犯行は日本軍ではなく、「支那敗残兵」によるものと明記した点だ。
当時、支那敗残兵が正定の教会に避難した人々の中に紛れ込んでいた。
物証は、彼らが事件の犯人であることを示しており、森島氏は次のように記している。
  「その後も続けた調査では、支那敗残兵の犯行であるとの結論を覆す証拠は見つからなかった。従って日本政府は当該事件に関する責任を負いかねるのみならず、占領地で起こったすべての件に関して責任をとりかねる」
犯人は日本軍ではない、支那敗残兵であるとした森島文書は、外務省欧亜局第二課が昭和39年2月28日時点でまとめた「支那事変に関連する在支第三国(英米を除く)財産被害調査表」にも、「13年(1938年)2月13日付フランス大使館宛公文を以て回答」と記録されている。
外務省本省も、事の本質を十分に知っていた。
それに対してフランスは13年4月16日付、「大使館覚書を以て本件に関しては今後何等問題を提起せざる旨申し越」していた。
犯人は日本軍ではなく、支那敗残兵だったという説明に、フランス政府も納得し、もはや同件は問題にしないと、言ってきたのである。
ではなぜ、外務省はこの肝心の森島公文書を萩生田氏に見せなかったのか。
外務省の罪は森島文書を見せなかったことにとどまらない。
外務省作成の説明資料で24行中20行が、必ずしも正確ではない当時の報道や教会報の紹介に割かれている。
「宣教師は正規軍の日本兵(Japanese soldiers of the regular army)によって殺害されたものとの結論に達した」などという「『タブレット』紙による詳細な記述」なるものも萩生田氏に報告している。
資料の最後に「日本外務省の文書」から「9名は『満州軍により殺害』」という部分と見舞金が支払われたことも引用されている。
これでは誰しも、満州軍が殺害した、満州軍は日本軍だ、しかし見舞金の支払いでフランス側は納得したと考えるだろう。
そこでもうひとつの疑問である。
日本の外交資料に記述された満州軍とは何か。
当時、満州国と中国の国境付近に展開していた軍は5つに大別できる。
大日本帝国正規軍としての日本軍、満州国正規軍としての満州国軍、蒋介石の国民党軍、毛沢東の共産党軍、張学良の東北軍だ。
外交資料には満州軍と書かれているが、それは満州国軍ではなかっただろう。
満州国軍は1937(昭和12)年10月、日本軍の北支方面軍進攻に応じて北支に外征中だった。
北支とは黄河以北のことで正定とはあまりにも距離があるからだ。
では、満州軍が日本軍、つまり関東軍を指している可能性はどうか。
この件については歴史家の田中秀雄氏が平成27年1月号の『正論』に詳述した。
詳細は氏の論文に譲り、私はただ、10月8日から11日までの連続した激しい部隊展開の中で、日本軍が「正定事件」を起こすことなど不可能だったこと、森島氏が当時日本政府を代表して書いたように、正定事件は支那敗残兵、恐らく張学良の東北軍の犯行である可能性が高いことだけを指摘したい。
外務省は、先輩外交官の残した貴重な公文書に反して、日本をおとしめる情報を政府高官に上げていた。
意図的な情報操作か。
それとも外務省の情報把握能力の問題か。
私が事件の全体像を把握できたのは本稿で言及した民間の人々の情報発掘の努力のおかげである。
本来外務省が行うべき仕事を民間人が危機感に突き動かされて代行している。
この現状ほど、寒心に堪えないものはない。
 
※日本はスパイ天国と窶されているが、自民党政府はスパイ防止法を成立させないでいる。
理由はスパイ防止法が成立すれば、多くの政治家と多くの官僚に類が及び、日本の統治機構が崩壊する可能性があるのであろう。
日本はスパイ防止法が無ければ、政治家と官僚の日本売りが止まない。
嘘つき安倍総理は「ヘイトスピーチ解消法」なる日本売りの法律を成立させているが何故、スパイ防止法を成立させないのか? 彼自身、スパイの可能性があるのか?と疑いたくなる。
外務省と言えば「宣戦布告を遅らせた野村大使」を想い出す。
彼は本来、自決しても己の過ちを償いきれない人物だが、敗戦後、GHQから重宝され官僚の界で復活した。
この事実をどう解釈すればいいのか? 歴史家はもっと彼の実態を明らかにしてもらいたいものである。
バターン死の行進の嘘
2016・7・29 ユーチューブ 
髙山正之『変見の作りかた』#52 21万個のお握り
「コメント」
髙山正之『変見の作りかた』#52 21万個のお握り
監修・出演:髙山正之
収録:2015年10月
時間:13分15秒
第52回「21万個のお握り」(週刊新潮 2015年5月21日号)
昭和17年4月、日本はフィリピンのバターン半島を落とした。
米比軍を捕虜収容所へ徒歩で移動させる時に、日本軍は何か所もの救護所を置き、面倒を見て1日当たり21万個ものお握りを捕虜たちに配ってやっていたのだが…
 
※フィリピン人よ、この動画を観ろ! バターン死の行進が嘘と分かる
白人の愚かさが語られている。
愚かな外務官僚は首にしろ!
親日国・ポーランドとの絆
2016・7・28 産経ニュース 岡部伸
知られざるポーランドと日本の深い「絆」
「記事内容」
欧州連合(EU)からの離脱を選択した国民投票から1カ月。
英国でポーランド移民へのヘイトクライム(憎悪犯罪)が後を絶たないことに心が痛み、バッキンガム宮殿に近い「ルーベンスホテル」を再訪した。
先の大戦でドイツとソ連に占領されたポーランドの亡命政府が、このホテルの中にあったからだ。
ホテル正面に貼られたプレートが往事をわずかにしのばせるが、大戦末期、ここから日本に極秘情報がもたらされたことはあまり知られていない。
1945年2月、ソ連の日本侵攻を決めたヤルタの密約である。
連合国側のポーランドがいち早くこの情報を日本側にもたらした。
シベリアの孤児救出や杉原千畝によるユダヤ系ポーランド人への「命のビザ」発給など、日本の支援に対する恩返しのためだ。
この情報をストックホルムで受け取った陸軍武官は夫婦で速やかに東京に打電した。
戦争の帰趨(きすう)を決する重要情報にもかかわらず本国は生かせず、多くの命が奪われた。
原爆が投下され、ソ連の後継国ロシアとの間では、北方領土問題が今も続く。
夫妻の戦後は無念の日々だった。
そんな2人の半生を描いたドラマ「百合子さんの絵本」が30日、NHK総合テレビで放送される。
ポーランドと日本の深い絆をご覧いただきたい。
 
※岡部記者よ、既にドラマを観たのか? NHKの事、嘘で捏造されていないのか? 
2016・7・24 産経ニュース 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(28)】
夢の欧亜国際連絡列車が走る 世界を縮めた「1枚の切符」とは…
「記事抜粋」
  西欧への玄関
昭和63(1988)年のソウル五輪を前に、日本の新幹線-関釜フェリー-韓国鉄道庁線を1枚の切符で結ぶ「日韓共同きっぷ」が発売され、その1番列車に乗ったことがある。
途中、関釜フェリーで船中泊し、韓国・ソウルまで1泊2日の行程。
このルートが、かつて日本-朝鮮・満州、さらにその先のシベリア鉄道を経て、ヨーロッパまでを結んだ国際連絡ルートの「再現」だと知ったのはそのときだった。
現在、東海道・山陽新幹線に使われている「のぞみ」「ひかり」は、このルートの朝鮮-満州間を走っていた急行列車の愛称である。
開放展望デッキの1等寝台車が連結され、釜山(プサン)-ハルビン間を約1日半かけて突っ走った(ひかり)。
昭和10(1935)年10月、歌手の加藤登紀子の母、淑子(としこ)は新婚の夫、幸四郎と、このルートをたどって故郷の京都から夫の赴任先であった満州・ハルビンへ向かっている。
つづく
  日露のせめぎ合い
日本から満州を経てヨーロッパへ向かう、もう1つのルートは、日本海側の敦賀(福井県)から航路、ロシアのウラジオストクへ渡り、同国経営の東清鉄道(昭和10年以降は、満鉄が運行)-シベリア鉄道へ入る、というコースである。
昭和15年、リトアニア駐在の外交官、杉原千畝(ちうね)が発行した「命のビザ」によって救われたユダヤ人の多くがたどったのは、この逆コースだ。
ウラジオストクに着いたユダヤ人は、杉原と同じ哈爾濱(ハルビン)学院出身の外交官、根井三郎の計らいで敦賀行きの船に乗る。
そこから横浜へ向かい、アメリカなどへ旅立っていった。
古くは日本海の交易を担った北前船(きたまえぶね)の拠点として栄えた敦賀港は明治以降、日本海を挟んだロシア沿海州や朝鮮北部を結ぶ国際貿易港として発展してゆく。
明治40(1907)年には敦賀-ウラジオストク間の定期航路(約40時間)が開かれ、間もなく、東清鉄道-シベリア鉄道を繋ぐ国際連絡運輸が始まる。
中略
歌人の与謝野晶子が同年5月、夫の鉄幹を追ってパリへ行ったときも「敦賀ルート」だった。
タッチの差で「欧亜国際連絡列車」の運行開始には間に合わなかったが、15日間でパリへ到着している。
「敦賀ルート」の利用は日本人と並んでロシア人が多かった。
「欧亜国際連絡列車」はロシア革命後の混乱によって大正13(1924)年に一旦、運行が中止されるが、昭和2年に再開、先の大戦開始後の15年10月まで運行を続けた。
大陸からヨーロッパへの夢とロマンを繋ぎ、世界との距離を縮めた「欧亜国際連絡列車」。
戦後もイベント列車などとして何度か再現運行されている。
 
※加藤登紀子、私の嫌いな反日芸能人の一人だが、記事にしろ目にしたくない名前である。
次第に明かされる犯罪
2016・7・19 ユーチューブ 
「コメント」
ナシ
 
※52分過ぎから 
大東亜戦争:ルーズベルトは大日本帝国の真珠湾攻撃に於いてアメリカ人を見捨てた犯罪行為(法律ではルーズベルト死刑)。
日系アメリカ人だけが強制収容(人種差別)された。
この状況下、アメリカ軍は日系アメリカ人の若者をを招集、ヨーロッパ戦線に442部隊(日系アメリカ人部隊)、死亡率300%の死亡率(悲惨)

キューバで強制異収容された日系アメリカ人死亡(老人ホーム・独身)。

16世紀から樺太は日本の領土
2016・7 IRONNA 
まやかしの霧が覆う樺太の歴史

「記事抜粋」
ロシアの武力威嚇によって掠め盗られた樺太。
日露戦争で回復した南半は大東亜戦争後にロシアが不法占拠し続けるが、左翼勢力はこれを是とし、侵略された歴史を何が何でも隠そうとする。
改めて日本の北方領域・樺太の歴史を振り返る。
  広辞苑でも疑問の扱い  北海道防衛で無念の放棄  奪われても口をつぐむなかれ
  他国主張に沿った〝まやかしの歴史〟を喧伝する者たち  対日不平等条約の愚行  安易な妥協は不要
  
対馬にあって樺太になかったもの
前略
古くは、1295年、日蓮宗の日持上人が樺太に渡って布教活動をしている。
1799年、幕府は樺太南部を幕府直轄領とした。
1808年、幕府は間宮林蔵等を派遣して、樺太西端のラッカ岬に「大日本国国境」という国境標を建てる。
1809年、間宮林蔵は樺太が島であることを確認する。
つまり、間宮海峡を発見したのである。
1821年、幕府は、樺太を松前藩領とする。
1853年、ロシアが樺太北端にロシア旗を建てる。
1855年、日露親和条約(下田条約)で、樺太を日ロ雑居地と決められる。
1865年、樺太北端に「大日本領」という標識を建てる。
  売られた領土

  Q : 樺太返還の機運が盛り上がらないのは左翼勢力の影響があると思いますか?
2016・7・18現在  思う 3  思わない 0  どちらでもない 0
 
※左翼の影響では無い。
日本は戦後、誤った選択をしたが、日本政府が大東亜戦争の総括をしていない事こそ最大の間違いであり問題。
大東亜戦争の総括さえすれば、国民が大東亜戦争の事実を知る事になる。
昭和天皇陛下の御心と命を賭して国を守った靖国に眠る英霊達の思いが生きる。
総括は国民の敗戦史観(嘘)を一挙に払拭し、大日本帝国が悪玉欧米と戦った大東亜戦争に誇りを持つ素晴らし国民が暮らすいいい国・日本になると信じている。
旧日本、台湾
2016・7・8 ユーチューブ 
当時台湾は日本、戦後70年特別でした
「コメント」
ナシ 
 
※台湾を知ろう。
日本は、台湾を二度切った。
  一度目、蒋介石侵攻、当時台湾人は日本人、台湾人は必ず、日本人が台湾人を助けに来ると信じていたと言う。
これを聞いて日本人は何を思うのだろうか? 
  二度目、日支国交回復、日本政府の欲、愚かな事であるが、日本は今、シナの脅威に曝されている。
シナの脅威は欲を出した日本政府と反日企業のせいである。
日本は決して三度、台湾を見捨てることがあってならない。
日本人よ、覚悟しろ!
旧日本人(台湾人)の皆様へ、戦後はご苦労をおかけし申し訳ございませんでした。